2008年06月20日

ひまわりと反感と警察官

799b.ren.jpg

0618:2008
vol.2
Sunflower and antipathy and police.
photo : dozen/Ren
瞑想で持ち帰れたひとつの画像があった。
 





それは遠近があり3段階の奥行きがあった。
一番手前によく咲き誇っているいくつもの「ひまわり」。
その奥に「反感」という文字。
そして、さらに奥には上半身だけうかがえるやや腰をかがめた「警察官」。
右を向いている横の姿だった。

手前のひまわりはとてもクリアだが、真ん中の反感という文字はややぼやけ、奥の警察官になるとかなりぼやけている。

この映像の意味には、気づいただけでも4通りもの異なるメッセージがあった。



「ひまわり」「反感」「警察官」。
この中で気になったのがもちろん「反感」。
この言葉は日常においてもまったく使うことのない言葉だ。
ゆえに驚き、調べてみようと思った。

そしてかなり興味深いものを見つけた。
『わたしが学んだシュタイナー教育』
『反感と共感』


シュタイナー教育を勉強するとすぐ耳にする言葉の一つに
「反感」と「共感」という言葉がある。
反感と共感にまつわる話をしてみたい。

さて、反感とは、一口で言うと「嫌い」という感情。
共感は「好き」という感情。

先日聞いた西川隆範先生の話は面白かった。
「知情意」を人生はじめの21年間で育てていくことは、みなさん、ご存じのことでしょう。
大人になると、知情意の「情」はどう発達していくのか、私は知りたかった。

先生に尋ねると、先生は言われた。
「人間は、どうも、大人になると、意的な人と知的な人に別れるようだ。
意的な人にも知的な人にも感情はある。
意的な人の感情というのは、共感的なのに対して
知的な人の感情というのは、反感的である。」と。

大人の感情は、意的な行為をたくさんすると共感的な感情が豊かになり、
知的な行為が多いと反感的になるとのことだった。

  

幼稚園では、月一回未就園児が遊びにくるオープンクラスという時間がある。
園長先生と一人の幼稚園の先生と幼稚園の母親たちがボランティアで運営している。
会費は一回おやつ代10円をいただく。
1時間自由に遊び、30分手遊びをしたりおやつをいただいたりする。

オープンクラスの手伝いをするお母さん達は共感に満ちている。
手伝いをしたい人だけで成り立っている。
学校の役員みたいに押し付けられた人はいない。
完全希望制だから、やりたい人だけがやっている。
だから、みんな心から充実して楽しいときを過ごすことができる。

ある日、そのオープンクラスのお手伝いで私は受付をしていた。
園庭を見ながら、みんなが来るのを迎えた。

その日、園庭では有志のお父さんたちが大工仕事ではしごを作っていた。
仕事が休みの土曜日、誰に頼まれたわけでもないのに、喜んで幼稚園にやってくるお父さんたちがいる。
来たくない人は、家で寝ていればいい。
そこでは本当に好きで集まってきている人だけで動いているから、当然、そこも共感に満ちている。


園庭は、土で、子どもたちは、どこを掘ってもいい。
だから、どこもデコボコでしている。
雨が降ると、園庭はぐちゃぐちゃになる。

その日、園長先生がそのでこぼこを直していた。
猫車で土を運び、園庭の穴を埋めていた。
オープンクラスに来ている幼児さんの一人は、園長先生のまねをして土を運び、穴を埋め、土を踏んで固めていた。

楽しく遊びながら仕事を手伝っていた。
砂場で遊んでいる子たちもそれぞれ土を掘ったり、埋めたりしてあたかも働いているかのように真剣に遊んでいた。
そんな幼児を見て、彼らもまた共感に満ちているなあと思った。

そこでは、皆、なんらかの行為をしていた。
行為というのは、好きという感情から出てくることが多い。
イヤイヤやるということもあるが、
好きだから、したいからすることは共感に満ちている。

その日、私は園庭に向いて受付をしながら、園全体の共感に満ちた空気を味わった。
みんな、喜んで行為をしている。
みんな幸せそうである。
なんとも不思議な暖かくゆったりした時空がある。
共感に満ちた意的な仲間たち。


会議というのは、どうしても知的な活動になる。
その場で具体的になにかをすることはない。
言葉と頭と文字で繰り広げられる。

自分と反対意見を言う人もいるだろうし、意見をあまり持っておらずに、ふらふらしたことを言ってる人にイライラするかもししれない。
会議のような知的な行為は反感に満ちてくる。

心に反感の湧くような議論も私はとても好きだ。
人の意見を聞くのも好きだし、自分の意見を言うのも好きだ。


反感に満ちた知的な行為と共感に満ちた意的な行為をバランスよく行い、感情のバランスのとれた素敵な人に私はなりたい。




こんなふうに「反感」という意味を知れたことが面白かった。
と、同時に瞑想で受け取った画像の意味がさらに気になった。

いきついた先は、内在の父なる神への反感。
これはひとつの側面に過ぎないが、今の自分の霊性の変容を顧みると、なるほど、と思った。

内在の女神が男神を引き寄せる霊的状態にある自分を知っている。
男女性に置き換えてみるとわかりやすい。
まさに今まで以上の本格的体現に入り始めているだけに腑に落ちた。

さらに腑に落ちたのは、過去生での体験。
これは「霊的能力」と密接にある。
わたしは過去生の自分が選択した体験を能力のせい、つまり高次意識のせいにしていたことに最近気づいた。
その件と「父なる神」は密接に関連しあっている。

反感。
あまりにも深い遠い過去が、この生のこの今に浮上した。
まるでレムリアの霊性が落ちた種子を観るようだ。
いや、それよりアクセスで知ったさらに高位次元の、ソースに対するコーネリアンの記憶を思い出した。
そんなにも深いものを解放しようとしているのだと、そう感じた。

浄化である解放は、過去にさかのぼって解放されていく事実をわたしは今までの変容で体験してきている。
この今の生の過去をさかのぼり、過去生をさかのぼり、コーネリアンまでさかのぼり解放されていく。

それは、すべてがわたしでもあり、すべては繋がっているからだ。



足ひとつの映像から幾とおりものメッセージがある中で、時間を置き寝かしてみることでどのメッセージが今にしっくりくるかがわかった(気づいた)。
反感はわたしの中にある幼い部分。そう幼さ。
その幼さに援助が差し伸べられている。
そう、本当に写真の通りだったことに気づき驚いた。
(どんな日記に添える写真もすべては必然だった。)

本当の自分を取り戻していく「自分を愛そう!」
愛の拡大支援クリックご協力お願いします^―^v
人気blog  精神世界  spiritual精神世界blog  blogくつろぐ

Renかわいいmixi
Love Spiritual PeaceかわいいCommunity
posted by dozen/Ren at 04:48| 0806 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。