2006年10月30日

Love Hugs

今日マップちゃんのところで素敵なシェアがされていた。
ぴーちゃんからマップちゃん、そしてわたしもこれは絶対シェアしたいと心がハズンで歓んだ。
ありがとう。。。

1030:2006
Love Hugs.
photo : dozen/Ren

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それはハグ
 

わたしと龍は毎日ハグする。
その日、最初に逢ったとき、おやすみの束の間の別れのときには必ず。
そして一緒に過ごしている間にもときどき。

これはいつのまにか気がつけばそうなっていて、それがごく自然で当たり前の日常で、この日記を書くまで意識すらしたことがなかったけど・・・。

ハグは怒ってたりエゴってたりするとできない。
そんな感情や想いをもってハグはできない。
そんなとき、ハグは苦痛になる。

愛であるハグができないってことは、やっぱりエゴってるんだな。
ハグ(=愛)が苦痛に感じるなんて・・・、冷静に考えてみてもやっぱりおかしなことだ。笑

ハグの行為を実際にすることで、その行為自身が内に愛を呼び起こし浸透を起こしてくれる。
それぐらいハグは偉大だとわたしは実感している。

わたしはダルシャンでこの体験をたくさん味わってきた。
関連日記⇒本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
特にダルシャンの場合はエネルギーの土壌上でのハグだが、もうどれぐらいの数のハグをしているだろう。

日本人はハグに慣れていない。
つまりそれぐらいリアルに日常で身体ごとのコミュニケーションがない。
唯一、子供の頃にあるぐらいかどうか。
大人になればなるほどハグはない。
そして大きくなって唯一ハグが起こるのは恋愛のときぐらいかもしれない。

それだけにダルシャンの際のハグは効果があり、ダルシャンが受けられない状態であってもハグする
ダルシャンじゃないハグでさえも素晴らしいものを内に感じさせてくれる。

ハグに関してのみんなの感想は共通して愛だ。
そのハグから味わう事柄をずっと自分は欲していたんだ・・・という内観が多い。
感想はこちら⇒イニシエーションetc感想

イニシエーションで行うハグ(ダルシャン)ひとつで相手のさまが出る。

歓んで抱きついてくる人、母に甘えるように身体を預ける人、しっかり腕を回す人などもいれば、身体をくっつけるのがやっとな人、腕を回すことすらできない人(エネルギーの心地よさに腕さえダラーンとなるのとは違う意味)、恥ずかしがる人、身体を預けるのが恐くていつ離れようかとなっている人。

これらすべてはハグという鏡を通して自分自身を現している。
イニシエーションという場だからこそ、ハグという行為がその人自身のさまを浮上さす。

けれど、例えその人が恐々ながらハグしても、それでもそこで感じることは愛なのだ。

嗚咽をあげ大泣きする人、涙が溢れて止まらない人、目に涙を溜めている人、湧き上がる涙を必死にこらえる人、うれしくて嬉しくてジッとしていられない人、子供のような無垢な笑いがこみ上げる人など。

ハグをして笑顔にならない人はいない。
ダルシャンハグをして変化のない人なんていまだに1人もいない。
それぐらいハグは愛で偉大。

ダルシャンハグ・・・
そこに在るのは愛
自分にすでに在る愛に触れる。

ハグは素敵な愛のギフト。
わたしはLove Hugs

一緒にハグをシェアしよう。。。
イニシエーションでも。待ってる。
http://www.youtube.com/watch?v=u05PNKQoZzg
http://www.youtube.com/watch?v=vr3x_RRJdd4&eurl=



本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
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posted by dozen/Ren at 11:44| 0610 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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