2006年11月08日

ジェラびと

競争の怒涛。
いつまでたってもどこまでいっても。
頭ワールド。

1108:2006
vol.4
Jealousy people.
photo : dozen/Ren

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何かに感動した、気づいた、所詮それは頭の世界。
受身。そこに自分自身の体験や実践そのものは存在しない。
 

本や映画で感動し気づいたところで、それが実践、体験なのか。
本や講演講義から理解したところで、それが自分が体験した真実なのか。

単なる勉強、学問、研究、知識と思考の追求に過ぎない。
思考や頭の感動より大事なものは、実際にそれを味わうことだろう。
それが真の感動。真の気づき。

味わって初めて言えるのが、知っている。
本や講演講義、テレビや映画ブログから知ったことが知っている・・・ではない。

ジェラびと(ジェラシーピープル)は何かしら比較して負けまいとし、いかに自分は理解しているか自分の方が優れているかを誇示する。
見せようとする。そして焦る。相手にこだわる。執着する。

スピは頭じゃない。能力を指すのでもない。
つまり学校でする机の上のお勉強ではない。

能力を追いかけパワー追いかけたところで、それは真のスピじゃない。
真のスピは愛を深めていくこと。
愛を体験し、実際にそれを味わうこと。
それが真のスピ。

いつまで人と競争するのか。
いつまで比較しつづけるのか。
自分が人にジェラシーの炎を燃やしていることにいつ気づけるのだろう。

それは全部、いかに自分に価値がないかを自分自身に投げつけている証。

どこまでいっても頭でしかない。頭で理解することを追いかける。

だから波が激しい。
だから同じことを繰り返す。
だから真には変わってはいかない。
そして疲れ、いったい何が問題なのだろうと苦悶する。

人は自分の都合の悪いことは無視する。
気づきたくもない。
知らぬふり。
触れたくもない。

頭で追いかけるのは、実際に動くことより簡単。楽。

動かなくていいのだから。椅子に座ってでもできる。
出かけなくてもいい。家でジッとしていてもできる。
人と実際に交流しなくていい。頭の中でできるから。

真の楽は「静」にはない。「動」のなかにしかない。


認めている、認めたから・・・。
何度でも口では言う。
認めた。・・・認めた。・・・ほんとにもう認めた。
気づいた。・・・気づいた。・・・ほんとにもう気づいた。

しかし、真に認めない限り、・・・苦悶は終わらない。
真に気づかない限り、・・・苦悶は終わらない。

その現状が真に認めているか、真に気づいたかを教えてくれる。


知識は活かしてこそ生きる。
活かしていない知識は、マインドに拍車をかける。罠に。

マインドの罠は、体験で味わうことではなく、思考で知り味わうことを目的としている。
しかしその味わいは内側を満たすことはない。
ゆえに満たそうとさらに追い求め、飽くなき知識へのむさぼりが続く。

自分の状態がどうであるかは、現状が示してくれる。
活かされていない知識で自分を溢れさせている者は、簡単に罠に落ちる。マインドの罠に。

真の賢さや能力は知識(頭)だけでは養えない。

賢さをいくら前に押し出しても、それは真の教え(真実)にはならない。
真の教え、真のメッセージは体験があってこそ生々しくリアルとして存在する。

それこそが、ハートに霊性さに響いていく。
人が単に突き動かされるのではなく、真に突き動かされるのはそういう波動。
そういう波動が真の変化(創造)を育む。

たとえ知識がなくても、それでも体験というものが必ず教えてくれる。
真の学びっていうものを。

真の学びがいざなう。
真実を生きながら歩くというのが、本当はどんなことかを。

頭で話す。
頭で語る。
そんな話や教えはいらない。
自分の体験から話して語るのだ。

それこそ真実ってもの。

本から紡ぎだして組み合わせ話し語ることは、誰でもできる。
人の真実を話すこともシェアすることも、誰でもできる。
これらは自分の真実に用いエッセンスにしてこそ、意義があるもの。

頭から話す内容は響かない。
表面にしか。浅いところにしか。

そんな表面や浅さに響く自分がいるなら、そんな自分に疑問をもつのはいいことだ。

誰でも自分の体験がある。
自分の体験がない者なんて、誰1人いない。
それでいい。そこから話せば。そこに真実がある。

さらなる真実を望むなら、実践すればいい。

実際に体験して味わえばいい。

そうすれば真実からの言葉やハートの言霊が自然に溢れる。
それが創造。

上手さや、知性や知識用語をどれだけ用いようとも、どれほどの能力やスキルを用いようとも、この言霊を超えることはできない。

言霊をさらに深め、分かりやすくするため、活かすために用いられる知識や本、スキルは幸いだ。

人が創造したものを追いかけて賞賛ばかりを続けているより、自分自身で創造し、その自分を賞賛することは、人を賞賛する以上に遥かに価値がある。

勘違いしてはいけない。
知識や能力で真実を実際に歩くことはできない。
真実を体験しながら歩んでいくには、実際に自分自身が体験している愛が、歩ませそうさせるのだ。

いつまで競争する。
競争。比較。ジェラシー三昧。

自分は、自分しかいない。
だからユニーク(唯一)なのだ。

関連日記⇒思考から実践への移行
     ⇒「シップ」「奉仕」「仲間」「コミット」
     ⇒dozenはすでにTantraだった
     ⇒光を濁らす
     ⇒外なる内なるのエネルギーの違いを知った上での探求


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posted by dozen/Ren at 22:44| 0611 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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