『何気ないところから拡大(奉仕)は始まる』というもの。
1128:2006
vol.3
There is service for daily life.
photo : dozen/Ren

『何気ないところから(真実の)拡大は始まる』。
そのメッセージとは、
何気ない雑談や偶然(必然)会って始めた会話からカレッジ(スピリチュアル)に興味をもってもらうこと。
カレッジの意味⇒Love Spiritual Peace(ラブスピース)collegeとは
つまり、雑談から繋がる。
これはわたし自身、非常に当てはまる。
自分のまんまで接し、自分のまんまで会話していると、しょっちゅうこうなる。
親ともそうだし、息子ともそうだし。
自分のまんまでいると自然にそうなるわけで、逆にスピを隠している方がおかしい。
隠すのは不自然だし、自分を自分で否定していることにもなる。
真実に生きる自分のまんまでいれば、人と会う中に自然にスピは育まれる。
ゆえに相談されることが多いし、相手からスピの話をされることが増えていく。
友達の中から、友達の方からカレッジのレッスンに興味があるんだけど・・・と、メールが来たりもする。
もちろん誰とでもそうなるとか、いきなりそうなるとか、誰でもスピに興味を示す・・・ということじゃなく、自分のまんまで人と接する中にスピ(真実の拡大)が始まる・・・という意味。
無理にスピ話をするとか、無理にカレッジ話をするとか、そういうコントロールは一切なく、コミュニケーションにゆだねているだけでスピが育まれていく。
それはわたしのまんまだから。
そしてスピに関連するネタは、実は山ほど転がっている。
会う回数が重なっていくうちに・・・という場合もあれば、偶然(必然)にも相手が欲していていきなりカレッジのスピカフェやイニシエに繋がる場合もある。
わたしが常に意図しているのは、真実に生きる自分のありのままでいれば(継続)、勝手に自分がエッセンスになっているということ。
あとは相手がそのエッセンスをどう自分で料理するかだけだ。
そのエッセンスがどう扱われようが、手放す。かまわない。放っておく。流れていくままゆだねる。
そうなったエッセンスは、もしかしたらゴミ箱行きだったかもしれないし、腐るまで放置されたかもしれないし。
でもそれはいずれ土に還る。元々はすべてエネルギーだし。
それともリサイクルされたかもしれない(違う誰かに伝わっているとか)。
活用されて料理されたならそれは嬉しい。
あとからどんな料理にしたかとか、活用方法を教えてもらえることもある。
1人で味わったかもしれないし、2人以上で味わったかもしれない。
恋人と(の関係で)味わったかもしれないし、家族かもしれないし、親子かもしれないし、職場かもしれない。
もっと興味があればまたカフェしよう(会いたい)と、向こうから声がかかる。
ただわたしがいつも感じるのは、スピは『継続』の中で深まる。
友情もそう。
恋愛もそう。
何かを理解することだって、何かを身に着けることだってそう。
そしてたまには継続の中で距離を変化させることで分かることもあると思う。
距離の変化が必要な時は、エゴっているしかない。
恐れとか抵抗とか思い込みとか、ジェラシーもそうだし依存しているとか。
とにかく『継続』それ自身がエッセンスでもある。
日常から奉仕の視点を持ち、自分のまま(真実)で在ることはとても大切。
それは真実の拡大でもあり、愛の選択のレッスンにもなるし、愛を学ぶことにもなる。
日常で出会う以上のたくさんの人と交流を育むにはどうすればいいか。
それは世の中を見れば分かる。
知ってもらうのにCM・告知をする。それだけ。
ゆえにdozenはラブスピースカレッジの告知を継続している。
本当に真の真実の拡大を味わいたいから。