2006年12月03日

大停電の夜に

毎晩毎晩、変容とともに溢れるほどの気づきが起こる。
面白い。いろんなことが分かっていく。

1202:2006
At the night of a great blackout.

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真の真実って、なんてシンプルなんだ!
 

そして毎朝それを龍が来たら話す。
龍は龍で気づきがあるのでそれを話す。

こうやってわたしたちdozenの朝は、気づきのコミュニケーションで始まる。

午後からは映画を堪能。
昨日の映画からは、『闇を闇で制す』というエッセンスがあった。

闇であっても愛がないわけではない。
成熟した光からすれば、その闇の愛は幼く都合よく未熟であっても、だからといって愛がないわけではない。
それよりも幼い愛をもつ闇からすれば、成熟した愛になるだろう。

それら愛をもって闇が闇を制す。
・・・そんなエッセンスだった。

今日観たのは『大停電の夜に』。
わたしが感じたエッセンスは、
『光も闇もバランスさえ調和していれば、さらなる愛を浮上さす』というもの。

なぜそう感じたか。

あるクリスマスの夜、広範囲に渡って大停電が起こる。
その暗闇の中のポイントは、キャンドル。明かり。つまり火だ。

キャンドルナイトが創りだすその空間、雰囲気が心の中にしまいこんだものを浮上さす。
話しやすくなる。そして、自分のほんとの声に気づく。

その暗闇の中では、いつもある明かりの生活の習慣が癖として浮上する。
静かな時の流れにゆだねられず、思わず手が勝手にテレビのリモコンをつける。
が、つかないので停電だったことに気づく。

とにかく停電の影響は大きい。街や動きが機能不全状態。
・・・ということは、いかに明るさが当たり前になっていて、自分と向き合う、自分を知るときを創らずに過ごしているか。

世の中は、明るさのおかげでとても便利で楽になっているにも関わらず、自分を大切にすることを失っている。

明るさが消えることにより、暗闇になることにより、改めて明るさの大事さを知る。
さらには暗闇の中でキャンドルを灯すことにより、そういう明るさのバランスが逆に人を自分の心の内に向かわす。

日常の明かりのときはいろんなことに流されじっくり感じたことを味わうこともせず娯楽に流されていた、ごまかしていたことが、必然とゆだね味わうことに流れる。

明るすぎる光は心の闇をごまかす。

実際にそうだ。
夜ではなくお日様が昇っているときというのは、多くの暗さがなくなる。
暑い日などは、影(闇)が涼しさを与えてくれる。

夜はキャンドルかのような月の明るさが、逆に光へとフォーカスを向かわせる。
その暗さの中の明るさが心の声に耳を傾けやすくしてくれる。

闇も光に貢献するのだ。

元々、善悪など存在しない。
それは光も闇もバランスが取れているからだ。

それを超え明るすぎても、暗すぎてもいけない。
バランスを欠いた光、眩しすぎる光は逆に困る。
あまりに明るすぎても、真っ暗でも、どちらでも見えない。

人はバランスに向かって成熟していく。

そのバランスに在るとき・・・、善悪は存在しない。
光がいいわけでもなく闇が悪いわけでもなくなる。
在る。それだけだ。

バランスを欠けば、闇だけでなく光さえも悪くなる。
光と闇が善悪で存在するところは、バランスが欠けている証。
ここ地球もそうだ。

バランス(調和)がある光と闇。
バランスがあると闇さえいい。
その闇は愛に貢献する存在となる。

バランスが在るところでは、光もいいし闇もいい。
いい・・・それしか存在しない。

そしてもっと突き詰めるなら、バランスを欠いているのは今の自分。
光と闇それ自身がバランスを欠いているのではなく、今の各それぞれ自分自身がバランスを欠いているので、光と闇がバランスを欠いていると感じているだけだ。

光になればなるほど闇が見えなくなる。
闇とはつまり学びでもある。
見えなくなったら自分の部分を少し闇の方へ移行してやることでその部分が見えやすくなる。
そう自分のさらなる学びが見えてくる。

闇に行き過ぎても自分を見失ってしまう。心地悪くなる。
暗闇に光を置いてやると自分がどんな(心の)場所にいたかが見えてくる。
そして光によって学び、さらにもっと光へ移行すればもっと分かりやすくなる。心地よくなる。

これも法則。エネルギーの法則。

これを当てはめ地上にいるソウル(魂)を観たとき、さまざまなソウルがいることに気づく。

地に、もっと心地よくなるために闇から移行してきたソウルもいれば、もっと自分を学び上昇しようと光から移行してきたソウルもいる。
これは愛が動機だ。

それだけでなく、地の闇に引き寄せられ地より濃い闇から移行してきたソウルもいれば、地の光に引き寄せられ地より濃い光から移行してきたソウルもいる。
この濃い光から地の光の移行は、弱さ(闇)へと引き寄せられている。
これらはエゴが動機だ。

常に弱さ(エゴ)と愛は表裏一体。
弱さは学びであり愛も学びである。
その愛は弱さとも表裏一体であり、大きな視野の成熟した愛からすれば、その愛も弱さゆえ発生していることが分かる。
弱さと愛はそうやって表裏一体で存在し、そのバランスをもって、ソウルは移行していく。

そのソウルを司っているのがスピリットであり、スピリットもまた非物質界において同じ法則にいる。
さらにそのスピリットを司る存在・エネルギーがあり、同じ法則。

理解できる範囲も理解を超えているものも、すべては実はすでにバランスの中に存在している。
何事も近視眼的な視野(自己中心的)でいる限りは、その真のバランスは決して観えてこない。







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posted by dozen/Ren at 12:33| 0612 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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