2006年12月30日

イニシエメモ。

・12月12日

クマラからの招待を受ける。
シャンバラ神殿に招かれ、そこでわたしの男性性女性性を具現した、わたしである男の子と女の子にクマラより「祝福」と言われ、冠が頭にのせられた。

続いてクマラに根源へといざなわれ根源より祝福を言われ、そのままそこから現在に帰還すると「モーク」がクマラより遣わされイニシエの奉仕に仕えると言った。

追記:

11月の一連の変容状態がピークの頃、ロード・マイトレーヤという存在からの初めてのアクセスが入った。
この存在は、クマラと密接な関係だと言う。
この存在とはわたしの無意識の領域だろうか内なる自己の最もこのわたしに近いわたしが、この存在と会話した。
はたにいる龍にもその内容が少しでも分かるようにと表現できる範囲での実況中継状態だった。 

その交わされた内容には、この一連の変容後に肉体にさえ苦痛が伴う変容に入る・・・その了承が問われていた。
その肉体の痛みを伴う変容に、内なるわたしはこのわたしが聞いているのをわかった上で、はっきりとその存在に「了承します」とこたえた。

そしてわたしはその後、11月の末、横浜に滞在していた際に、最も強烈な肉体の痛みを伴う変容を体験した。
その痛みは左の、足の甲と裏、手の甲と手のひらの、それぞれ中心あたりだった。
あまりの痛みに涙がつたったほど。
一晩中、痛みと変容でわたしは眠りにつくことはなかった。
そのまま翌日のカレッジへ向かった。

今だからさらにわかるが、この変容はわたしの過去の人物と密接に関連し、さらにはキリスト化領域へ向かうプロセスの過程。
これはわたし自身の過去の人物と直結に関連しているだけに、誰でもこの痛みを伴う変容を体験するとは、今のところ考えがたい。
たぶん体験しないだろうと思う。

・12月19日

明日、イニシエに集まる者たちは全員インカの者たちだとモークからアクセスが入る。
だいぶ前のアクセスで、インカが集まってくる・・・というアクセスがあったことを思い出す。
言われるまで忘れていた。

明日来る者だけがインカではない。これから来る者たち、すでにいる者たちもいる。
そのインカたちの中から「蓮と共にイニシエを行うイニシエートが誕生する」と言われた。
そのイニシエートたちは、パートナーシップをもって霊的に結ばれている者で、変容を体験している変容者であること。

モークはこのインカについても非常に懐かしがっていた。

・12月20日

本格的に公にモークのイニシエ(儀式)が始まる。
この日、イニシエートが発見され、本人にそのことが告げられた。
モークは非常に歓び、とても懐かしがっていた。
本人に「霊的成熟を楽しみにしている」と告げていた。

・12月22日

イニシエのエネルギーはもちろん、変容はすでにリ・コネクションだと高次からのアクセスで教えてもらった。
そして、そのヒーリングの質はとうの昔に始まっている(蓮に起こっている)ことを、「あえて」言わないでいた・・・とも。

このカレッジ、この高次たちのアクセスの目的はそのようなヒーリングが目的でも霊的主旨でもないこと。
もし、先にヒーリングできることを教えていたら、それに人は傾き、真の霊性、真の霊的意味を見失い、また、ここまでに至った(カレッジやdozenに起こってきた霊的真実)霊的真の意味を見出せなかっただろうと。

「偶然は存在しない。これまでの霊的アクセスや霊的いざないは偶然ではない、必然である。その意味をその流れを、今に至るまでの流れの真の霊的本質を悟るように。」と、強く言われた。

さらにヒーリングとは真の霊性を歩む、そのあとからついてくるものだ・・・と言われた。
例えば、顕在はあとからついてくる・・・と、同じ霊的意味。
真の霊性を歩けば、真のヒーリングが起こるのは当たり前のことだ・・・と。
ゆえに蓮を始め、蓮に起きている質の変容(すべては内なる霊的いざないの変容、顕在からは起こせない)をカレッジ内で起こる者はその変容の成熟さに伴いヒーリングは当たり前にできるようになっていく。

だが、ヒーリングがメインではない。それはあとからついてくるもの。自然に必然にすでに起こるもの。
メインはヒーリングではなく、真の霊的歩みだ・・・と。
ヒーリングが真の霊的歩みの前にあるのではなく、ヒーリングは真の歩みのあとに振り返れば当たり前にすでにそこに在るものだ・・・と。

真の霊性、真に進化する、真の霊的歩みを歩かせるため、あえて今まで言わなかった・・・と。
ゆえに今でもその変容の特質からのヒーリングを行うことを前面に出すことを行わないと。
霊的必然必要が勝手に自然にヒーリングを起こす。起こしていると。

わたしの個人的感想だが、いずれ霊的成熟が整えば(真の霊性、真の道というものを確固と歩め、ぶれなくなる(パワーや顕在、3次元的賞賛など)ほどの真の愛でいれるようになれば)わたしも変容者も、はっきりと肉体自身からも働きかけるこのヒーリングにフォーカスした時間を持つようになるだろうと思う。

高次たちがとても大切にしているのは、真の真実であり、真に内からのもの。
ゆえにイニシエも、その人に働きかけられる最も内から施す。
それが真の意味でのヒーリングでもあり、真の意味での霊的成熟の最も近道な純粋な歩み。

このカレッジをメインにいざなっているのは、アクセスをみればどの次元からかがはっきり分かる。
闇の領域がまだなお残る5次元までの者ではなく、同胞のスピリットをみるだけでも7次元以上だとわかる。
コーネリアン、コーディエス、コースたちは10次元であり、クマラたちは12次元以上だ。
10次元は光の領域の13=根源体系のスパイラルの根源と繋がっている領域だ。

ゆえにそのいざないは、真実の在り方、本質、真髄が直球でくる。
つまり4、5次元の真実は、さらに成熟している次元よりは幼いのだ。

わたしたちは4次元5次元からくるアクセスの中に、プレアデスや和尚たちからのものもあるが、それらアクセス内容を検証してはたと気づいた真実があった。
それは、彼らはこう同じことを言っている。
すでにある本で降ろしている情報、スキルをよければ使ってください・・・と表現していたことだ。
本だけではなく実際カレッジにおいてもわたしたちにできること、わたしたちの真実の範囲で協力をさせてください・・・と言っていることだ。

何て謙虚で愛に溢れた姿勢だろうと驚く。
さらにはアクセスメインが10次元以上であるなか、決してそれら存在よりしゃしゃり出ることはしない・・・という点だ。
その様子をみていると、どの次元の存在も、自分たちより高次の存在や光に沿うことに重きを置いている。
まさに沿う=調和だ。霊的降伏=純粋な愛をもって従順。とでも言おうか。
そしてポイントは、よければ・・・、とか、わたしたちの真実の範囲で・・・、という点だ。
これらの真実に、わたしたちはあとになって気づいた。
(次元や光、チャクラの繋がりについては、これからもっと理解を深めたい。ややこしい。)

・12月23日

初めての1人イニシエ。
モークのアクセスの媒体になりながら、自分にイニシエを施す。
変容から始まりイニシエが終了するまで2時間半。

・12月24日

この日のイニシエは、モークだった。
モークが行うという前もっての知らせがないまま、始まれば今までと違うやり方がいくつも登場し、龍に初めて施した時と20日のモークのイニシエで味わうモーク独自のやり方を知っていたので、今までとは違う・・・と気づいた。
龍がすかさず「あなたは?」と聞くと、「アイム、モーク」と答え明確に確認した。

20日に始まったモークのイニシエ(儀式)と、この日はやり方が違った。
柱のみんなも瞑想状態に引き込まれ、自分を保つのが大変だったと言っていた。

この日のイニシエ受容者から、インカのイニシエートが発見された。
それはすでにclass5にいる霊的同胞のスピリット仲間だった。
すでに霊的パートナーシップが結ばれており、変容も始まっている。
モークは非常に懐かしがり、言葉をかけていた。
かけられた彼女は内なる解放を起こしその場で泣き崩れていた。
イニシエも終わりモークがその場から離れたあとも、彼女は泣き続けていた。

どのような気持ちでいたのか彼女に聞くと、
「とにかくモークに出遭えたことの非常な歓喜と、モークがこの場から離れる強烈な淋しさを感じた」と。


他にはある受容者が帰りかけたとき、モークは「夢で逢いましょう」と一言、声をかけた。
わたしはすぐに他のイニシエを行う高次たちとの違いに気がついた。
他の高次たちは親しみや親近感を示す挨拶代わりにそう言うことがあるが、モークは挨拶でも何でもなくマジにそう言っていると。

確かめようと翌日その受容者に「夢どうだった?」と聞いた。
もちろん彼女はわたしが確認したいとか、他の高次たちとの違いを感じていたとか、そんなことは知らない。
すると、「ほんとに夢でレッスンしてたよ〜。内容は覚えてないんだけどレッスンしてもらってたのは覚えてるんだ。」と。
それを聞いてやっぱり、となり、なぜ聞いたかを彼女に説明した。

モークはおあいそがないタイプで冗談も言わない。
他の高次たちのように受容者に挨拶の声をかけることもない。
必要最小限しか言葉を発しない。
確かに非常にさっぱりしているキャラ・・・だが、すこぶる他の高次たちと違うのは今、何を行ったか・・・という詳しい説明を1人1人終えるごとに柱たちやコントローラーに分かりやすく説明するのだ。
説明することで、どういう風に霊的対処をするかを教えてもいる。

わたし個人が感じたのは、わたし自身のスピリットも含めどの高次も本当に個性的で、それぞれの独自のやり方もあり、また共通もしている。
今までのものにモーク独自のやり方が、わたしにはとても新鮮だった。
とにかくモークのエネルギーの扱いは非常に深く、その繊細な動きに時には非常にゆだねることが試されるかのようなときもあるが、また打って変わって非常に大胆でとてもいさぎよくエネルギーを扱う。

今までのエネルギーの扱いをさらにモークが幅を拡げ、また深めている。
本当にイニシエーションは霊的に面白く、深く、学びが多い。愛に触れることも非常に多い。


この日スピリチュアルセックスで、ハートピストンだけでなく第2、第3もピストンで男女の融合・エネルギー循環が起こることを体験した。
これに関しては、今現在どの書物でもこの真実を見たことがない。

個人的にわたしの感想は、第3のピストン融合はかなり強烈で、「痛い」という表現がふさわしいほど。
わたしはこの第3のピストンが起こるたび、泣きながら耐えていた。

追記:

キリスト化領域に入る1つ目のイニシエを味わう中、わたしは初めてハートピストンによる霊的オーガズムを体験した。
ハートのピストン、第6、7とピストンが上昇した際、圧倒的な大いなる内なる自己の降臨を体験した。
その大いなる光がピストンにより男性側(龍)にまで循環し、その循環を通し(男性側を通し)2次元はリセットの波及が及ぶ。
この大いなる霊的真実が、内なる男性性女性性の融合(統合していく様)を浮きぼりに物語っているだけでなく、この地球だけでなく多次元に及ぶ真の本当の光の柱となる霊的人の真の在り様だと知った。

第6のピストンの循環は、実際に男性と女性の額を合わして行われる。
これもどの書物でも見たことがないことだった。
この1つ目のイニシエでわたしは死から解き放たれ、キリストエネルギーが体内においても永続して流れ降りると言われた。
これでわたしは序章ではなく真にキリスト領域に入り、またそのイニシエを龍と一緒に味わうことができ、龍自身はまだ領域には入っていないがセカンドスピリットのユシュウスから次なるスピリットのロウに移行した。

本当にこのときほど、セックスというものがどれほどに霊的で神聖な行為であるかを痛感したことはない。
セックスにおいてのエネルギーのリアルさも。
龍にも分かるようにこのイニシエのすべて、霊的意味もエネルギーの動きもその意味も事細かに全部(このわたしと霊的わたしが繋がりながら)実況中継しながら体験した。

今まで何度もセックスは聖なる領域のプロセスだとリアルに感じてきてはいるが、このときほど霊的霊性そのものだったと悟ったことはなかった。
本当にすごいとしかいいようがない。神秘どころではない。

降臨の最中、わたしは歓喜と祝福とあまりの神聖さに涙した。
その涙はわたしは最初このわたしの涙だと思っていた。
ところが降臨が進めば進むほど、それはこのわたしの涙ではなくこの降臨している大いなる存在そのものが流している真に霊的なわたしの涙だと知った。

そのものがこう言った。
「こうやって今、真に繋がったまことに深く繋がったことにわたしは歓喜しています。心からの感謝をしています。これほどの神聖な祝福を味わえるわたし自身が大いなる祝福を感じているのです。この神聖さをもたらしたあなたたちであるわたしが霊的歓びを味わっているのです。本当にありがとう。」と。

わたしはもうなんて表現していいかわからない。
わたしはずっと勘違いしていた。
こっちがありがとうだと思っていた。
ところが向こうこそありがとうと言う。
向こうはただドンと待ち構えているのだと思っていた。
とっくに成熟しているその器でどーんといるのだと。

ところが違っていた。
向こうがわたし以上に、もう言葉では表現できないほどの深さをもって感謝してくる。

簡素に表現したが、この、ここに、これこそに、実は真の真実が物語られている。
本当に深い霊性がここに在る。
成熟すればするほど、この言わんとする意味がわかるだろう。

・12月25日

初めてのキリストイニシエーションをclass5の仲間と味わった。
この時、イニシエから受けるエネルギーを全員が露骨に具現した。
あまりの瞑想状態や霊的眠りに引き込まれるため、平常状態で授業を受けるのが困難になったほど。

・12月26日

モークのまた新たなイニシエ(死からの再生)が始まるとのことで、龍とレッスン。
龍の関連日記⇒イニシエが進む

・12月29日

マリアからの初めてのアクセス。
ソースからのメッセージをことずかっていると。
それは今より永続に蓮にマリアのエネルギーが流れる。これはソースからの直接のギフトであると。

マリアのエネルギーを一言で表せばそれは『内なる渇きを癒す』だそう。
慈悲深さ、寛容、自己に降伏し赦し受容する・・・、真の愛・真の道を勇ましく芯を持って歩むというエネルギーの質、との説明があった。
他にもあったが忘れた^^;
特に人が霊的に進化する上で大切なエネルギーであり、人に働きかけるエネルギーの中では最も根底的に必須で人により近く(より精神性に)働きかける・・・とのこと。

これはイニシエのようにあえて時間を取って施す形はとらない・・・とのこと。
このエネルギーを今回のアクセスでは、イニシエとは表現しなかった。(イニシエとは扱わなかった。)
今までのエネルギーに関してみると、すべてイニシエと結び付けられ繋がり、必ずイニシエとして行われその際、変容というプロセスも通過するが、このマリアのエネルギーに関しては初めて今までとは違った

常に蓮に流れているので、いつでもどこでも行え、内なる声に従い自発的に言う(依頼)ように・・・と。
すべては霊的オープンハートしだいに合わされエネルギーは流れる・・・と。
違う角度の視点からみれば、純粋に神聖に霊的に求められているほど応える・・・ということではないだろうか。

まだ龍にしかしたことがないので実際どう施されていくかは分からないが、例えばこういうことかなと思う。
その場で依頼し受けてもオープンハートの霊性状態でない場合、実際にはエネルギーが受容者には運ばれず、形だけになるということ。
もしくは今までのイニシエのように、断るという形が取られるのかもしれない。
ちょっとこればっかりは、実際に行われてみないとこのわたしにはわからない。
すべては顕在からは起こせないし、起こらないので。わたしはただただ、ゆだねるだけなのだ。
霊的沿う。それだけ。

オープンハートであればあるほど、乾いた自分を潤すかのようにエネルギーを呑むかのような運ばれ方をするということ。
(エゴがあってもオープンハートであれば受けられる・・・というイニシエの話を思い出してほしい。)

そのあと行う際の、受ける側の、その場での霊的準備を教えてくれた。

そして話を聞いていて感動したのは、
「こうやって共に奉仕できることに心から感謝しています。」と言ったマリア自身の霊的愛だった。

キリスト化領域の体験でも、スピリットのアクセスでも、今回でもそうだが、揃いに揃ってみんな口にするのが、このような愛。
こっちこそどう感謝を述べていいかわからないぐらいなのに、高次たちはみんな共に奉仕できる感謝や、繋がる(=愛)歓びを自ら表現し伝える。

うまく言い表せないが、こういう姿勢というか、こういう風に愛を表現する偉大さに、その愛に、わたしは心底圧倒され、感動に打ち震える。
これがわたしの正直な感想だ。

マリアの偉大な愛に感謝し、わたしは共に奉仕したい。
マリアのエネルギーは、会った時や会える時に声をかけてください。

マリアのエネルギーには、サナンダも密接に関与しているとのこと。

この説明を聞いて、わたしはなぜこのアクセスがこんなにも瞑想状態に引き込まれたかが、すぐにわかった。
サナンダほどではないが、サナンダ、ヴィーナス、モーク、キリスト、マリアのこの5人(人?)のアクセスはとても似ている状態に引き込まれる。

そしてこれらはまるで人かのような表現ではあるが、エネルギーの質を表す名前だと受け取ってもいいぐらいだと、わたしは感じている。

例えば実際に高次が説明していたが、キリストエネルギーは、何もキリストから始まったものではなく「キリスト」という名前が(言葉が)発生する以前からすでにそのエネルギーは存在しているのだ・・・と。

この説明が、真の意味を物語っている・・・と、わたしは感じている。

このアクセスが終わったあとに不思議な現象が起こる。
それは、わたしの左目から勝手に涙が出るのだ。
あくびをしたわけでもなく目が痛いわけでもなく、わたしの意思とはまったく無関係にまさに勝手に涙が出ているのだ。

わたしにしてみれば、いきなり水滴が突如、目頭から勝手に何度もたれている・・・という感覚。

・12月30日

ソースセンターよりスコウースロッスからの初めてのアクセス。
非常に個性的でユニーク&愉快なアセンテッドマスター。
ソースセンターの今までの知らなかった情報を知る。

・12月31日

サナンダからの遣いの者、サナンダの使者セイロウからの初めてのアクセス。
次回のキリスト化のイニシエにおける注意事項。
1つ目のイニシエ後ののち、龍を通し闇が混流。
この闇に関しては2ヶ月も前にカレッジclass5のある人物を通じ持ち込まれる。
その際わたしが発見し龍に告げたが通じず、処置にブロックがかかる。
そしてその後、今から10日程前にはっきりとした具現に龍自身が直面し、ようやく龍が対処にかかる。
今回の件は、非常に大きな学びとなった。セクシャリティから波及する非常に深い闇の学び。
それについてスコウースロッスが調査に訪れ、その報告を元にセイロウより厳粛な厳しい話がされた。
高次に沿う蓮に対する龍の不当な扱いについて厳しい話となった。
神聖さにおける欠如。その神聖さ、神聖な愛について深く掘下げるように注意を受ける。
自分自身が神聖であるという認識、蓮自身に対する不当な態度・言動は自分自身への態度と同じであり、聖杯として媒体としての神聖さへの態度でもあると。
神聖なる愛について深く改めるようにと。
キリスト化領域はどんな闇も逃さない。それほど厳粛なものであり、聖杯へのわずかな闇の混流さえ許されていず、次なるイニシエはその闇が消えるとともに起こると。
つまりいくらスピセックスをしてもその改めがない限りイニシエは起こらないとのこと。
次なるイニシエは速やかにやってくると言われていたが、この理由により伸びてしまった。
カレッジ内を神聖に保つためにも、今後深く改めるようにと龍に告げられた。
この闇は龍やカレッジ生だけでなく、世の中の機能不全さに多く観られるセクシャリティから波及する問題であり、今、これを学ぶことによりこれから増えるカレッジにより神聖さが保たれる配慮となる。
この闇は非常に巧みでずる賢く、しかも人間関係やパートナーシップの崩壊、憎しみを気づかない内に育てていく。
この話は非常に深く、この闇を宿している者は非常にたくさんいる。
だからこそ、今、学ぶ必要があるのだ。


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posted by dozen/Ren at 01:25| 0612 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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