2007年02月03日

さらに目がヒラク

0201:2007
vol.2
Furthermore, eyes open.
photo:dozen/Ren

509b.ren.jpg




在る  と  無





同じ



 

この気づきが、さらなる真実へと大きな飛躍をとげた。

GOTHIKA
↑この日記を書いたとき、まだ落とし込みが足りないと感じた。
わたしにとって表層に過ぎないことを書いたと。

そこで日記は手放し、内観を続けた。
さらに深い域に気づくが、わたしにはその気づきを文字を使って文章に書くのは、とても難しくできなかった。

そしてそのときさらに気づいたのが、在る=無、だった。
非常にリアルにこのことに気づいた。

頭で理解するのではない。ハートで理解する。

そこから面白いほど落とし込みが始まる。
あれよあれよと、あっという間にストンと。

すると見えないものがスルスルとさらに観えた。



そして愕然・・・とした。



すべてがもうすでにココに在ったことに気づいた。
何もかもすべてが。

どこかに行かなければ手に入らないものなんて何ひとつ無いことが、リアルすぎるぐらいに分かった。

そう、すべてはココに在る。
すべてをわたしはすでに持っていた。


今までの高次たちやスピリットたちからのメッセージが、どういう真実から、どういう霊的視点をもって発せられていたのかが分かった。

目からウロコだった。
観えていたようで、観えていなかったことを知った。

ソースセンターの情報やそれに関する出来事が、なぜああいうメッセージなのか、なぜああいう行動(レッスン)をしたのか、分かりすぎるぐらい分かったのだ。
すべては初めからココに在るのだ。
なにもかもが。
どこかに行くのではないのだ。
在るんだ。すでに。

見えていないだけなんだ。気づいていないだけなんだ。それだけなのだ。
高次たちが言う幻想は、まさに!・・・だった。
この真実に驚くしかなかった。
急に視界が一変した。


これらを龍に説明した。
一緒になって目からウロコ。

わたしは話しながら、心も身体もドンドン楽になっていった。
ハートから歓びが込みあげ、ワクワクは止まらない。

こんな真実だったなんて!
こんなことって!
もう笑いが止まらなかった。
なんてわたしはまぬけだったんだろうって。
なんでこんなことに今まで気づかなかったんだろうって。

こんなにもこんなにもシンプルだったなんて・・・。

もう嬉しくて仕方がなかった。

すべては完璧すぎるぐらい完璧だ。
しかも、すでにココから完璧だ!



なにもかもすべては、ココにすでに在る。
在る=無。
ココから完璧。
なにもかもすべて持っている。
なにもかも初めからすべてココに存在しているのだ。



不足なんてなく、すでに満たされている。
欠如なんてなく、すでに完璧。
闇なんてなく、すでに光。

闇は光の一部であり、闇は消えない。闇は愛でもあり、光の必要不可欠なツールだからだ。
闇が消えることは光が消えることも同じで、根源が消えることも同じ。
すべてが消える、無というのは在ると同じ。
だから消えない。

すでにすべては無限なる愛。
求めなくても、すでにもっている。
救わなくても、すでに救っている。
知らないんじゃなく、すでにすべてを知っている。
すべてを知っていながら、知らないのだ。

アセンションはココに在る。
シフトもココで在る。
どこかに行くわけでもなく、すべてはココに存在している。
なにもかも。



いいも悪いもない。
ようやくリアルに感じた。
良い、さらに良い。・・・これしか存在していなかった。



これらに真に気づくまで観えるようになるまで、人は答を求め歩き、救おうとするだろう。



見えないものが観えるようになるということは、

それは具現も同じ。
見えなかったものが見えるようになる。
次元を超えて。

すべてはココに在る。無さえも。

そして『無』は悟りでもなんでもない、スタートにすぎない。



翌日、高次たちからこれら気づきへの祝福のメッセージが届いた。
そして高次たちはこう言った。

ようやくスタート地点に立ちましたね。
これからが本当の意味で、楽しくなる。
わたしたちの『楽しんで』が、理解できてきましたか?と、笑っていた。



ゆだねる・・・。

それはこんなにも楽なことだったのかと。

さらに知ることで、いかに今までのゆだねるが、力んでいたかを知る。

真にゆだねるとは、すべての力を、力みを、すべて抜いてしまうことだ。



高次から、龍とわたしに課題が出た。
つまり、わたしからわたしへ、わたしたちからわたしたちへ出た。

次なる課題は、『観察すること』。

これは傍観者という意味ではない。

これら気づき=大いなる真実をもって観察しなさい。
すれば、さらなる真実を観ることになる。と。
さらに『生』は『愉快』になる。と。
存分に『楽しみなさい』と。


確か・・・、創造主は観察者でもあったんじゃないだろうか。
創造主は、スピリットでもあり根源でもある。


さらなる探求、さらなる実践が始まった。
すべては初めから『在るがまま』だった。

在るがまま、を生きるレッスンが始まる。
そしてすでに在るがままに生きていることを味わう。

すべては『いま』だった。


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posted by dozen/Ren at 12:15| 0702 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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