2007年02月08日

意識のアセンションと肉体を伴うアセンションの違い

モークから初めてのメッセージ
この↑日記を書きながらさらにいろいろと自分の中にあったものが浮上してくる。

0207:2007
A difference of Ascension of consciousness and Ascension with the body.
photo:dozen/Ren

519b.ren.jpg


が、うまくまとまらない。
でも書ける分は書いて、自分のために残しておこうと思った。
 

スピセックスでわたしはキリスト領域まできた。
その波及はスピセックスで男性にも及ぶ。
その事実をわたしたちは体験した。

そのキリスト化領域に来るまで、わたしは1人で来たわけではない。
1人では決して来れない。
龍がいてこそだ。
互いがあってこそだ。

そして忘れてはならない。
いくらスピセックス(真の錬金術)をしても、そこに真の愛がなければ、何も起こらない。何も進まない。

そのスピセックスで、女性は先に変容を体験する。
変容にはもちろん瞑想も込みこみにある。

だが男性はエナジーの波及を体験できるが、常に動き続けているのでジッとして行うという瞑想だけにはまり込むことはできない。
そのような意識になりそうないざないは起こるが、だがちゃんとした瞑想には至れない。
動いているからだ。

・・・そこで、招待イニシエを振り返って分かることがある。

唯一、2人共が一緒に瞑想に入れるのは、これだ。
共に、瞑想することだ。
そこにはムラウスたちからのいざないが共にある。
サナンダからの許可も降りている。

そして、分かった。



男女は具現だ。
一対だ。
ひとつだ。


もちろんそのことは知っているが、気づきの、その意味の深さが違うのだ。

男も女も、それぞれ内に男性性女性性を有しているのは、個として存在させるには当たり前の話だ。
個の中にも同じように宇宙を有していなければ個という創造は成り立たない。

それぞれが男性性しか有していない、あるいは、女性性しか有していない、それでは創造が成り立たないのだから存在させる(具現させる宇宙を)ことは起こせない。

さらに内在を目に見える形で大きく具現しているのが、男女だ。

ならば男女は、男女であってはじめて成り立つ。
だから、子供を創ることができるのだ。


真の霊性は、内から波及する。
・・・なれば、内在の男女(男性性女性性)が具現よりも先に統合する。



これがアセンションのひとつだ。
ただ、これは、内在である意識だけのアセンション、だ。



確かにわたしはこう書いた。
真の霊性は、内から波及する。
・・・なれば、内在の男女(男性性女性性)が具現よりも先に統合する。

一見そう思うだろうが、実はすべてが同時・・・という法則が在る。
内在も外在も同じなのだ。
もちろん大きな視野で。
近視眼的に言えば、外在はあとになる。
ここは時間があることで距離という幻想があるからだ。

つまり、内在である意識だけのアセンションというものは、肉体すら伴ってアセンションするというアセンションではない。
このアセンションは、肉体は死となる。

・・・となれば、内だけがアセンションして外は死という降下になる。
内外が一致していない。

そしてこのアセンションは、次なるアセンションのためにまた肉体に降りる・・・(どの次元の肉体かは別にして)、というプロセスを繰り返しながらするアセンションだ。
外に置いてきた肉体を取り戻すまで。



わたしがいざなわれているアセンションは、肉体をもってアセンションしていくというもの。

これが意識のアセンションより高度であると、いろんな本でも言われているものだ。
このアセンションは、真の霊的近道・・・という表現もできる。

カレッジは、この道だ。



内在の男女の統合でいざなわれていくのが、意識のアセンションならば、
そして、肉体を連れ立ってアセンションできていないのであれば、
そのアセンションするほどの意識は、肉体まで波及させるほどのものではなかった・・・、
また真に内外の一致(無限なる愛)に至る霊的成熟には至っていない・・・ということが明確に浮き彫りになる。

至っていない、ということは、
真の在るがまま、だけに存在する、ことに至っていないということだ。
つまり、エゴ、闇に偏るものを何かしら抱えていることが分かる。



肉体さえ伴ってアセンションするには、真の内外の一致・・・という、それほどの霊的成熟が不可欠だということ。



肉体さえ伴ってアセンションするには、真の内外の一致を指す、具現である男女の統合が不可欠になるのが分かる。
一番離れていると感じる具現の自分である男と女だ。

ゆえに肉体をもってのアセンションが難しい、高度、と表現されるのも分かる。
しかし、視点を変えれば、最もシンプルでストレートで、近道な道のりであることも分かる。

意識だけのアセンションでは、真に自分というエネルギーを取り戻したことにはならない。
自分の創造した肉体というエネルギーは、取り戻せていないのだ。

取り戻せていない、ということは形を変え(エネルギーであるその自己を)外在に浮遊・放置させているも同じ。
これをココ的に表現すれば、切り離された自己。
傷ついたインナーチャイルドの一部。

イニシエでもたまにこういうエネルギー状態の人を見かける。
もちろん人間においての話になるが、インチャの傷(エゴ)を隔離しすぎて、違う言い方をすればすっかり放置しすぎて、そのエネルギーが自分の肉体内から切り離され、外に浮遊している。

その切り離された自己は、常にその人から離れてあとからのっそり付いて歩く・・・状態。
凧のようなものだ。
細い1本の糸だけが唯一の頼りの繋がりでしかなく、その凧は自分の意思で動くのではなく、風に任され好きなようにもてあそばれる。
吹く風にさえ抵抗できない。

自分を愛さないという行為は、自己の一部を切り離し、その存在が無いかのように放置することさえ創りだす。


肉体という具現は、エネルギーの現れ。
スピリットの視点で表現するなら、ソウルの器である肉体という自己のエネルギーは、スピリットにとって切り離された自己の一部なのだ。

自分のものにしない限り、自分として取り戻さない限り、何度でも肉体を取り戻しに降りることになる。

そのエネルギーはエゴでしかない。
それを残したままでは、真のアセンションではない。
6次元でスピリットへの帰還(非物質化)への移行はできない。

意識だけのアセンションと、肉体をもってのアセンションはずいぶん違う

意識だけのアセンションは、何度でも肉体に降りる。
その肉体が創造されているのは、3・4次元だ。
つまり死が存在する輪廻は、4次元でも存在しているのだ。

5・6次元の世界には子供がいない。
・・・子供がいないということは、輪廻の仕組みが機能していない、ということだ。肉体の死の存在がない。

出産も子育てもない。
子供は何の具現だろうか。
地上の視野でドラマティックに表現するなら子供は可愛い。
けれど、スピリットの視野で表現するなら、それはエゴの具現となる。

次元降下を可能にするには、エネルギーを重くしなければならない。
重いということは暗いのも同じで、さらに物理的だ。
つまり、重くて暗いから、エネルギーを物理的に創造できるのだ。

例えば健康な男女どちらにもインチャの傷が例えば無いとするならば(極端な例だが)・・・、肉体が健康であるにも関わらず子供は生まれない。
その必要がない。霊的に。
ところがこの地上は、健康であれば必ず妊娠する。

次元が上昇すればするほど、肉体的セックスもない。



意識のアセンションはスパイラルで上昇と表現するならば、
肉体をもってのアセンションは、直球に上昇する。
繰り返し と 連続 の違いとも表現できる。



確か初期のアクセスの頃に、アセンションには状態が13在る・・・、と教えてもらった。
つまり、アセンション(アセンデッド)マスターには、13段階あるということ。
アセンションマスターと言えども、13の成熟の違いがあるということだ。



先に話したように男女はひとつと考えるとき、
龍とわたしのひとつ、というものは
男性性(龍)女性性(わたし)で構成されている。
このひとつというものは、今、4次元に安定した顕在意識をもつが肉体はまだ3次元にある。

この先もたっぷり楽しんでいこう。
すべてはすでにココに在るのだから。



スコースロッソに教えてもらった。
ソースセンターに超シャンバラが含まれていることを。
・・・ということは、いかにソースセンターが広大であるかが垣間見れると思う。

カレッジのアセンションの学びは、直球の道だ。

そしてカレッジがいかに広大かが分かるだろうか。

目に見えるカレッジだけを見ていてはいけない。
本当のカレッジの姿は、実に広大である




*この日記は、真実の一側面に過ぎない。


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posted by dozen/Ren at 17:16| 0702 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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