2007年02月10日

空気(無)=リアル(在)

さらにエッセンスとなったのが、mapちゃんの日記だった。
map日記⇒不安を解約
この内容は↑、まさに!!!・・・だ。
0209:2007
Air = rial.
photo:dozen/Ren

523b.ren.jpg


素晴らしい!
 

この保険に関することを彼女はすでに、8月のカレッジで浮上させていた。
わたしは、「オォ!そこまで気づいたか!」と、かなり嬉しかった。

そして彼女は、今月それを実際に行動したのだ。
実際に。リアルにした。
自分の真実 と 生き方・在り方・環境を一致させたのだ。

これは男性性の動。女性性に沿う=与える。・・・ということ。



ラムサの言葉を思い出す。
自分の生命に保険(保障)をかけておきながら、死はない・・・という真実は生きられない。偽善。自分(他者も自分)への偽りだ。」

これは、ひとつの簡単な例にすぎない。
いくらでも応用できる

真実を実際に生きる・・・、真実に在る(存在)ということだ。



これらエッセンスが、
今回のモーク・シフのメッセージと密接に関わっていると、わたしは感じた。

日常が瞑想ならば、それはラムサが言わんとしている事柄を直接指している。



わたしはこの日、龍とその掘下げに入った。

そこでわたしの脳裏に浮上してきたのは、カレッジ生たちの自発的な京都移住だった。

次から次に、京都への移住を各自が自分で自ら決めていっている。

そこには、これらが浮上したと同時に分かった
京都を宇宙法則で用いなさい
という、高次からの夢のメッセージが関連している。

このメッセの意味がようやく分かったとき、すでに彼らの抱いていた内在とが、見事にリンクした。
そして一気に、みんな行動に取り掛かった

その速さったら、なかった。

先頭を切ったのは、ムミヤ、そして沐隣。
つづき、もっちが動き出す。

京都を宇宙法則に・・・の意味が説ける直前に、すでにmapちゃんは、なんと旦那の仕事で神戸に転勤が決まった。
一番初めに、京都移動をすでに考慮し始めていた健久美が、遅かれ早かれあとに続くだろう。

なぜかトリンちゃんも旦那の仕事で、11月からちょくちょく京都通いがスタートしていた。

瑠璃ちゃんもなぜか前から京都がよぎっていたらしい。
1月の具現では、京都で学ぶ、dozen・・・、と起こっている。

ムミヤ⇒空ニ魚ノ心アリ
沐隣⇒ゆっくり行きませう
もっち⇒Mの探求日記
あだっちゃん⇒自己探求と創造
久美⇒スピリットの旅 久美
トリン⇒Healing Environment/トリン
瑠璃⇒闇からの帰還〜愛への道〜

あまりに霊性(光)とみんながリンクしている。
それに驚くしかない。

そしてこういうことになるとは露知らず、知らずにわたしたちはサポーターの募集をかけていた。

まるで、最初から仕組まれているかのよう・・・。



・・・なんてこんなことは、カレッジ内ではもう日常茶飯事、当たり前に起こっている。
そのネタを取り上げたらキリがないほど、みんな体験している

それをみんなはこう呼ぶ。
「また高次にはめられちゃったよ。」と。笑



京都に住もうとする彼ら。
この法則の意味からすると、京都と言えども、dozenのすぐそばに住まなければその霊的意味がないことが分かる。

京都を宇宙法則で用いる、その真の意味を告げはしたが、
「すぐそばに住まなければ京都のどこに住もうと意味がない。」
という、霊的意味までは何も触れていなかった。

つまりこれは、dozenとの実際に逢っての霊的交流の密度を指している。
それを具現では距離に現されている。
同じ京都に住んだとはいえ、距離的に逢うことがままならない位置に住んでいるのでは意味がない、ということ。

そのときのわたしは、まだそこまでは気づいていなかったので、当然、何も言っていない。

なのにも関わらず、京都移住組みの中から、実際にdozenのそばに引越しを決めた者たちが出てきた。



まさにイニシエーション・・・だと思った。



仲間同士でよく言っていることがある。

カレッジに来れるかどうかも、
class5へ入ることも、
イニシエを受けられるかどうかも、
しかも調整ではなく真にイニシエを受けられるかどうかも、
そして合宿も、

結局は、すべてがイニシエじゃないか!!・・・と。

そしてこの京都移住が、いかにイニシエかが分かる。
どこまでそばに来れる(沿える)か。

スピリットと自分のことを振り返れば、分かる。
法則が。
自ら自発的にスピリット(光・愛)に沿う=動、だ。

出遅れた、とか、そうしなければならない、とか、焦ることは何ひとつない。
すべては自然にそうなる。
すべてを自然にゆだねるのが大事


無理やり、事を起こす必要はない。
無理に起こせば無理に起こしたわけだから、それは顕在でしかない。コントロール(パワー)が入っている


大切なのは、内から湧き起こり、そうしたいという欲求(霊的確信・直感・明らかにそうするよう促されている)が高く、実際にその行動に移せるほど、現にそうなるよう動きを自然に取り出していること・・・が、大切

でなければ、真の『とき』ではない。
内外の一致ではない。
ということは、エゴ(パワーを求め)動いている
ということだ。



これらカレッジ生の動きはまさに、この日記の『』に繋がることだ。
mapちゃんの日記にあった動き、ラムサの言う『動』だ。

ゆだねるの、真の意味であり、
スーパーアセンション本の言わんとする、『悟りの道・状態』だ。
その抜粋はこちら⇒違う。



つまりはだ、わたしと龍にもこれが言われているわけだ。

そして、探る。
どこだ、どこが実際に沿えていないんだ?・・・と。
それは、日常にあるに決まっている。

真実に生きていないところが・・・。

死に付随している事柄や、古い体制の真実の意識(家族も含む)、
『今』とは関係のない『過去や未来』に付随すること。など。



わたしも龍も、保険をかけていない。
死に付随するものはない。

菜食主義という真実が浅いことも分かっている。
何が悪い・・・その判断、思い込みが、実際に物理的なものを身体に悪いと認識させるという真実を知っている。
その悪いは=憎しみを内在で抱えることになる。

戦争の法則と同じ。闇を憎むと同じ
染まるのだ。
関連日記⇒染まる

近視眼的真実 ではなく、ずっと大きな霊的視野・真実 で生きることの大事さ。
それは、愛の質も、成熟さもまったく違ってくる

こだわっている限りは、そのこだわっているという事実が自分の内在を明白に物語っている。
こだわっている限り=それに相反するものに縛られる・・・という真実

ここで気づいた!

探求をわざわざ意識しなければならない状態と、このことは同じなのだ。
同じ法則に在る
この日記はこちら⇒違う。

心地いいかどうかだけなのだ、真実は。
自分が成熟するその質が、心地いいを決める。
それだけだ。



心地いいと、こだわってしまっていることは、大きく意味の質も、違う



残るは、古い体制の意識、家族という感情(コントロールドラマ)と、過去と未来か。

いかにもワンネスなネタだ。

ここに問題ありありなのが、龍だ。
たくさんの残しものをしている。

そしてわたしもあった。

そこで気づく。

自分のこうなりたい、や、やりたい状況・環境を、
人(家族)をなんとかして(説き伏せて)実現させるのは違う。
それはコントロールだ。



答はシンプルだった。



自分が自発的に、自分を動かせばいいのだ。
自分が、自分のために、自分だけが行動を起こす

それに賛同するか反対するかどうかは、人(家族)の判断であり、その者の価値基準であり、成熟さだ。

自分のために、自分の責任を取ってあげる=愛と霊性の権利を取り戻すのに、他者の同意は必要ない



自分なのだ

誰も代わりにはしてくれない。
誰も自分の代わりにはなれない


ましてや自分と人の真実は、違うのだ。



人の真実に縛られて生きる必要はない・・・ということだ。



たとえ家族(血縁)であっても、あまりに真実が違い、互いの違いに息苦しく我慢している必要はない。
それが親であっても、子であっても。

親や子、ではなく、人なのだ。一人間
親子という縛りを解放して接する。観る

そして一緒に共同生活を、これからもしていきたいかどうかだ。



もうひとつ、考慮しなくてはいけないのが自立



親子をいいことに、いい歳にもなって寄生虫をしていてはいけない。
霊的自立とは、とてもじゃないが言えない。

自分の世話は、自分でする
当たり前のことだ。

これは親子だけでなく、パートナーシップでも言えることだ。

できるはずの歳になってもできていないのは、明らかな依存でしかない。

自分を世話することをみんな各自すればどれだけの解放が起きるか

彼女や妻や母親は、家政婦ではない。

彼氏や夫や父親は、金運びツールじゃない


ある年齢に達するまでの子供であっても、充分、その年齢なりの自分を自分で世話すること、共同生活であることを実践していかなくてはいけない。



各自がすべて、自分で自分を世話すれば、
それまで人にさせていたことが、いかに勝手な自堕落な寄生虫だったかがよく分かるはずだ。

そしてそれを甘んじて許しやっていた側も、いかに共依存しているかが分かるだろう。

親子や夫婦、恋人という関係性で操作してはいけない。
親子や夫婦、恋人を巧みに用いてはいけない。

親子や夫婦、恋人である前に、互いに、一人間であることを忘れてはいけない。

各自が自分の自己責任を超えないことで、放置しないことで、
どれだけの縛りが解放できることか・・・。
どれほどのコントロールドラマが軽減できることか


各自の自由になる時間も増え、さらに各自が自分というものを楽しむ余裕ができる。

光・愛・霊性をさらに楽しんで過ごすことができる



物理的に、いかに依存し合い、奪い合っていることか。
それによってどれほどの必要のないネガティブな感情を産み出していることか。



・真実の違い。(価値)
一緒にいて心地いいかどうか。
一緒に共同生活をしたい相手か。

・霊的自立。自分の足で立つ。(身の周りの世話。)
自分の世話を自分でしているか。依存。共依存。
寄生虫。コントロール、奪い合い。

・真の自由。
真実を生きる、自分を取り戻すのに、誰の承諾も必要ない。



−− 関係性がある以前に、人(霊的存在)であること。 −−

人は関係というドラマを起こすとき、それに縛られる
(3次元にある機能不全さが浸透している。)



わたしが感じていることの、ほんの一側面しか書けなかった。

だがわたし自身、自分に言いたいのは、



意識ひとつ、ということ。
意識の変換、より真実への変換と定着を起こすだけで、すべては変わっていく、ということ。

同じ出来事、同じ環境であっても、
意識がより真実で据えているか、そうでないかで、
すべての物事、意味、質は、変わってしまう。

創造さえも。

自分の真実が確固たるものならば
反応も感情も、意味も見える世界も、視点も
すべて変わり、

行動が違う。違ってくる。

当たり前に据えているものごと自身が、違ってくる



だから、当たり前、空気になっていない・・・とモークやシフに言われる。



空気、息のように同じなならば、同じ。
そのことをリアルにして下さい。

同じにはなってない。
距離置いているならば、幻想も同じ



と言われるのだ。
このメッセはこちら⇒モークに続くシフからさらなるメッセージ



そしてそばにあったスーパーアセンション本が気になりまた開いてみた。



細胞レベルから変化するには、気づきによる後戻りのない知覚のシフトが起きる必要があるように思えます。

それが大ピラミッドの王の部屋の中で起きようが、自分の部屋の中で起きようが、
知覚に起きたその変化を継続させるためには、それをストップさせている自分の内深くに君臨している古いパターンを、旅の最中も旅が終わってからも崩し続けることしかないように私は感じているのです。

マインドコントロールには、さまざまな形と層があるのが見え始めたところです。

まったく変わらない不変に存在しているかのように、心の奥底に停滞している恐怖の軸のようなものに気づいていくことは、自分からスタートする以外、誰も代わりにやってはくれないということ。
自分でやるしかないということを




 



本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
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posted by dozen/Ren at 01:50| 0702 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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