2005年06月08日

聖なる予言

クリスチャンとなって数年。
たくさんのことを学んだ。

A sacred prediction.
photo : dozen/Ren

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その間に離婚もしている。



結婚生活からも、子育てからもたくさんのことを学んだ。
よくも悪くも学びがありすぎて書ききれないほどだ。

その間、わたしは愛の点で大きく成長した。
知らなかった愛をたくさん学んだ。
そして、育んだ。

両親は宗教に大反対した。
わたしにはそれはどうってことなかった。
両親から得られない愛をたくさん学んでいたからだ。

そして、この人生は両親の人生ではない。
わたしの人生だ。
実際に歩き味わうのは、両親ではなく、このわたしなのだ。

今までの両親、父との関係もあって、わたしはもううんざりしていた。
これ以上まだ、わたしをコントロールするのか!!、と。
もういい加減にしてくれと。

1人で子育てしながらもクリスチャンとして生きていた。
が、やがて、その世界に違和感を感じ始める。



また始まった。
何かおかしい。何かが。

それは今度は、聖書にある真理は、本当だろうか?…というものだった。

その違和感さえ、神を裏切るようで自分が恐かった。
が、しかし、違和感は自然に湧き起こる。

わたしはその狭間で葛藤する日々が続く。
神への忠誠に魔がさしているのだろうか。



そんなある日、仕事仲間からある本を紹介される。
それは、『聖なる予言』というものだった。

「あのさ、蓮。蓮にぜひこの本を読んでほしいんだ。少し読んだんだけどわたしよりずっと蓮の方が分かるんじゃないかと思って。ぜひ読んでほしいんだ。」

わたしはかなり戸惑った。
聖書に関連するもの以外を読むのは、なにか神を裏切るようで。
実際、わたしをクリスチャンとして養育してくれた姉妹や、年長者も、この世の本を薦めてはいなかった。

友人はその本を玄関のそばにある棚に置いて帰った。



わたしは1ヶ月ほどそのまま触らずに放置していた。
その間もわたしの聖書に対する違和感は膨らむばかりだった。

その違和感がかなり大きくなったある夜、わたしは無性に放置したままの本が気になり始めた。
気になって気になって仕方がなかった。

そうして、とうとうわたしはその本を手に取り、ソファへ行き読み始めた。
しかもわたしは一気に読んでしまったのだ。

気がついたときには朝だった。



何とも言えない気持ちだった。
心が高揚している。

物語の途中にあったオーラの話。
ある女性が物語りの主人公に、山の上でオーラを観ることを教えていた。

わたしは本を置き、そこに書かれている通りにやってみた。
するとどうだろう!!
わたしにはそれが観えたのだ!

恐かった。
わたしはやはり魔がさしているのかもしれない。
心の闇に関与され、だからこんなものが観えるのかもしれない。

しばしわたしは葛藤していた。
それでもなお、またわたしは本を取り、続きを読み始めていた。
読みたいという想いの方が強かったのだ。



そうしてますますわたしは聖書へ、クリスチャンの世界への違和感が強まった。
それがやがて違和感ではなく、はっきりしたものに変わっていった。

そして自分の内から確信が起こる。
『本当の真理は、宗教という枠組みを超えたものだ』と。



そう確信したわたしは、脱退するのが早かった。
長老にすぐにその旨を伝えた。

しかし長老たちは、何度も我家へ足を運び、その確信について話し合おうとした。
が、わたしの想いも確信も揺らぐことはなかった。

脱退したある日、ある姉妹が訪ねて来た。
玄関口で会話を交わしていると彼女はこう言った。
「ハルマゲドン(この世の終わり)があるのに、よく脱退なんて出来るわ。わたしは恐くて決してできない。」

バカバカしい!…と思った。
ハルマゲドンにではなく、その彼女の姿勢に、だ。
クリスチャンでいるのは生き残るため、救われるため、それが目的なのか?…と。
それが真の忠誠心なのか?…と。

耳を疑いたくなった。
それは自分の利己的な欲のためではないか!、と。

真の楽園は、1人1人の心に、内にあるものだろう。
それがココで表現されるべきものではないのか。

聖書に縛られる理由は、この彼女のように1人1人違うのかもしれない。
神が悪を一掃するのかもしれない。
もちろん霊的な意味で。

が、しかしわたしは真の真理というものは、やはりこうやって宗教で縛れるものではないと思った。

真の真理は広大で無限で、わたしには想像もできないほど深遠なものだろう。



わたしには他にも想うことがあった。
どれほど聖書を探求しても物足りないと感じていた。

もちろん聖書をすべての意味で網羅しているという意味ではない。
そういう意味ではなく、聖典以上に真理は広大だと感じるゆえに、聖典である聖書を探求するのはどこか違うように感じていたのだ。

この中に真理があるのか?…と。

わたしには聖書に触れても触れても癒されないものが、このわたしの中にあった。



聖なる予言という本を機に、そうとは自覚のないまま、わたしはわたし自身への探求が始まろうとしていた。





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posted by dozen/Ren at 19:42| 0500 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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