2007年04月23日

dozenの真実も然り

わたしが、dozenが、また高次たちやスピリットたちが、普段から言わんとしている事柄が、この文章にあった。

0423:2007
The truth of dozen.
photo : dozen/Ren

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この文章が言わんとしていることとは…。
 


ヒマラヤ聖者より。

皆さんは、イエスがその初期の教育をわたしたちの間で受けた、とわたしたちが信じているという噂を聞いたことがあるかもしれません。

わたしたちの中にもそう信じている人がいるかも分からないが、実はそんなことはどうでもよいのです。

イエスの教育がわたしたちの間から出てきたのか、それとも、すべてのものの実相である唯一の根源なる神からの直接の啓示であるかということが、いったい問題となるものでしょうか。

ある1人の人が、神の心から出たある思想に接して、それを言葉によって伝えたとして、
他の人が、あるいは人間全部が、その同じ思想に接することはできないのでしょうか。

ある人がその思想に接して、それを発表したからといって、それがその人のみの占有物ということになるでしょうか


もっと多く受けるためには、受けたものを出して与えなければなりません

受けたものを与えもしないで、取り込んだままでいるならば、その結果はよどみであります。


わたしたちは水から動力を生み出す水車のようなもので、もしも水車が突然その自由意志で、引いてきた水を取り込んだままでいるならば、水は停滞して間もなくそのために窒息してしまうでしょう。

水車にとって水が動力源として役に立つのは、水を自由に流すときだけです。

人間の場合もまったくその通りです。

人間が神の想念に接したなら、その想念から利益を享受するためには、それを与えなければならない

みんなが自分と同じように生長し発展するためには、みんなが生長し発展することを認めてあげなければならないのです。



わたしとしては、他の偉大なる導師たちのように、イエスの場合もその教えは間違いなく神からの直接の啓示であると考えてはいます。

しかし、また、すべてのものは神のものではないのでしょうか。



神は神ご自身をイエスに啓示されたように、万人に対してもまた、なんどきでも喜んで啓示されるのであることを、皆さんもいずれは確信されることと、わたしたちは信じています。



各人にとって唯一の必要なことは、我が内にある神を喜んで引き出すことです。



人はみな平等に創られていること、人はみな、自他一体であること、イエスの為された偉大なるみ業には、実は何一つ、神秘(奇蹟)とすべきもののないことが、いずれ分かるでしょう。

神秘というものは、浅はかな人間の考え方の中にあるものです。







本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
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posted by dozen/Ren at 16:58| 0704 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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