vol.2
It is satisfied for beautiful spiritual joy.
photo : dozen/Ren

シッダは更にまた
「身体の調子は、ペストや流感のような伝染病、その他の病にも、自然にかつ容易に抵抗して維持されるようになっている」
と、言われている。
シッダは細菌を飲んでも、決して病にはかからなかった。
人間の本来の姿である神人に植え込まれた神の愛の種子が、若さであることを忘れてはならない。
事実、若さとは人間の内なる神性であり、若さは霊的生命、美的生命の謂(い)である。
*謂… …という意味、…のこと。物事が起こったわけ。理由。
生き、かつ愛するのは、生命のみである、永遠の一なる生命のみである。
老年とは、非霊的、死すべき定めの、醜き、非実在である。
恐怖、苦悩、悲哀の念が、老年という醜きものを造り出すのである。
悦び、愛、理想の想いが、若さの美を創り出す。
老齢とは1つの殻のようなもので、その奥に実在の珠球、若さという宝石が秘められている。
努めて子ども心を持つがよい。
わが内なる神なる子の相(すがた)を霊視する(霊的に観る)がよい。
寝入る前に
「わが内は常に若く、常に美しい霊的な歓びで満たされている。わが心も目も鼻も口も皮膚も、美しい霊体である。わが身体は神の子の身体であり、今宵、いま完全である。」
と、われと、わが身に語りかけるがよい。
この息宣(いのり)を繰り返し、寝入りながら静かにそのことについて瞑想するがよい。
朝は起きながら自分自身に次のように暗示するがよい。
「(自分の名前を呼びながら)さあ、愛する者よ、内には神聖なるアルケミストがいるぞ。」と。
*アルケミスト(アルケミー)…
占星学(アストロロジー)と共に古代の二大科学の1つで、アトランティス大陸時代にその起源を有す。
同大陸の海没を予知した高僧たちによってエジプトに移され、その後ヨーロッパに伝わった。
アルケミーには7つの目的があった。
(T)エリクサー、王薬、哲学者の石と称され、下級金属を金や銀に変え、不老長寿を可能ならしめ、その他の不思議の働きをする薬剤の調整。
(U)生物の創造。
(V)一切を溶かす万能溶剤の調整。
(W)灰に帰した植物を再生させる術。それに成功すれば死者の蘇りも可能。
(X)金を溶かす等の動きをする神秘的なものの調整。
(Y)一切のものの精髄の抽出。
(Z)人体を完全ならしめる、液体金の調整。
この他アルケミーには極めて深遠な真理が含まれているが、それを俗人の手より守るために多くの寓話や象徴を使っているため、無知なる世人の嘲笑を招くに至った。
夜中、植えつけられたこの祈りの霊的力によって変性(トランスミューテーション)が起こり、内部、すなわち霊なる実相が開顕して、この霊的体、霊的宮に浸透していく。
内在のアルケミストが死せる細胞、疲れ果てた細胞を捨て、金の如くに新しい細胞という純金をつくり出し(Z参照)、永遠の健康と美とを現していく。
久遠の青春こそは、真の神の愛の証拠である。
神聖なるアルケミストは、わが宮の内にあり、新しく美しき嬰児(みどりご)なる細胞を創り出す。
わが宮なる神聖なる身体の中に、青春の霊いまし、すべて善し。
オム・サンティ・サンティ(平安なれ、平安なれ)!
幼子のように愛らしく微笑む練習をするがよい。
魂からの微笑は、霊的くつろぎである。
本当の微笑は真に美しい、『内在の死することなき支配者』の美術作品である。
「わたしは全世界の人々に対して、親切な想いを思う。世の人々がすべて幸福になりますように、恵まれてありますように。」
と、祈るのはよいことである。
1日の仕事に取りかかる前に、
「わが内には完全なる姿、神の姿がある。われは今、わが欲するすべてとなっている。われは毎日わが美しき実相を霊視し、それを実現するのである。われは神の子である。わが欲するものは今、かつ、永遠に与えられつつあるのである。」
と、確言(確信をもって言う)するがよい。
身の内がゾクゾクするほど感動する習慣を養うがよい。
次の如く確言せよ。
『無限なる愛わが心に満ち、わが肉体は完全なる生命で戦慄(せんりつ)する。』
諸子の周囲すべてを明るく保て。
ユーモアを培い、日光を楽しむがよい。
以上、ご存知の通りシッダの教えを引用したわけである。
この方々はおよそ人間の知る限りでは、一番古い大師がたであって、その教えはいかなる国の歴史よりも古きことさらに幾千年である。
大師がたは人々に教えを垂れ、諸国を巡歴して当時の簡単な文明技術も知らぬ人々に、すでによりよき生き方を教えられた。
支配者たちの制度も、その教えから出たものである。
しかしこの支配者たちは、間もなく彼らを通して働くのが神であるという真理から外れて(はずれて)、自分の力でしていると思い込むようになり、
また、すべては神なる一つの根源から来るという真理を忘れ、やがて霊的なものを見失い、
遂に、自我や物質的なものを生み出してしまった。
この支配者たちの我(が)の考え方が、後に種々様々の宗教や思想となって分離していった。
これが所詮、バベルの塔(旧約聖書・創世記)についてのわたしたちの考え方である。
シッダは、神がすべてであり、すべては神の現れであることを知っていたので、神が人類と万象とを通じて神自身を現し、真の霊的方法をあらゆる時代を通じて守り通し、この教えより決して逸脱しなかったのである。
>努めて子ども心を持つがよい。
わが内なる神なる子の相(すがた)を霊視する(霊的に観る)がよい。
>神聖なるアルケミストは、わが宮の内にあり、新しく美しき嬰児(みどりご)なる細胞を創り出す。
>幼子のように愛らしく微笑む練習をするがよい。
魂からの微笑は、霊的くつろぎである。
>本当の微笑は真に美しい、『内在の死することなき支配者』の美術作品である。
わたしはこの文章を読みながら、『聖なる子供』の偉大さ、霊的深さ、純粋さを思い出した。
根源と同じで、心地いい、か、さらに心地いいしかない神聖な存在。
関連日記⇒いっぱい泣いた。
⇒続く1月の記録。(1月26日)
⇒聖なる子供のイニシエーション
特に、
>神聖なるアルケミストは、わが宮の内にあり、新しく美しき嬰児(みどりご)なる細胞を創り出す。
という、この文章がわたしに聖なる子供というものを教えてくれた。
自分自身を神聖さで満たせば満たすほど、満ちれば満ちるほど、アルケミストのように、まるで嬰児を創り出すように、
自分の内に『聖なる子供』という自己を創造し蘇らし、顕現するのだ。