2007年05月14日

ウイングメーカーの科学

わたしはこの↓日記を書いていて、思わずウィングメーカーを思い出した。
成熟(神聖さ)が伴っていなければ

0505:2007
Science of a wing maker.
photo : dozen/Ren

631b.ren.jpg


あの博士たちはすでに、宇宙カタログの科学を手にしていた
この研究は秘密裏に、地球外生命体とも協力しながら行われていた。

そこを脱出したのが、あの博士だ。
 


これらについて、わたし自身にあった高次たちや、高次たちに「ウィングメーカーと呼ばれし者たち」と呼ばれていたものたちからのアクセス内容が、妙に絡み合い一致していることに気づいた。

アクセスでは、このウィングメーカーには、真実が散りばめられていると聞いている。
もちろんすべてがそうではない。

実際の出来事やもの、人をモデルとして、事実あった事柄を織り交ぜて表現されていると。

そしてこの「ウィングメーカーと呼ばれしもの」たちは、地球の未来の者たちだと、はっきり告げていた。

さらに、龍が、
「なぜ、今の地球に援助するのか?」と尋ねたところ、つまりは繋がっているからと。
向上によって次元を押し上げると自分たちの未来もリセットされるわけだ。

ウィングメーカーと呼ばれし者たちは、ソースセンターと繋がっていた。
ソースセンターと繋がっているのは、ハイラーキーたちもだ


ハイラーキーたちとは、シャンバラも含め、実際わたしにアクセスをくれる高次たちの多くが、このハイラーキーたちでもある。
(同盟とか連合とか?、わたしにはどうでもいいので、正確に言えば覚えられないので一括ハイラーキーとする。)

クマラをはじめ、ヴィーナス、メタトロン、ミカエル、ガンダルフ、ジュワルクール、エルモリヤ、スコースロッソ、モーク、ラムサ、マイトレーヤ、キリスト・イエス、サナンダ、クワンイン、プレアデス、コース、ゴーウェスト、ムラウス、クラウディス、セス、空海、セイロウ、セングロースィズ・エイドリアン、などなど。

この他、ここ(地球)に具現を起こしているもので実際にアクセスをしてきている同胞たちには、コーネリアンから始まる名もなき存在のシフまで。
コーディエスから始まるロウまで。
アンディウスにエンヌワース、ウジュラームにナオ。

Dragon Diary〜Ripe Of Source/dozen〜
闇からの帰還〜愛への道〜
空ニ魚ノ心アリ
Harmony 〜調和〜
Healing Environment/トリン



すべてが繋がっている。
そして共同創造されているのがこのカレッジ(ビレッジ)であり、新しい試みが投じられた
のがわたしだと言っている。

その新しい試みと密接に関連し合うのが、ウィングメーカーの情報でもある。
それには新しいモデルについて書かれている。
それを取り上げた日記がこれだ。
ぜひ、まず↓読んで欲しい。
dozenの役割

今また新たに、自分たち、仲間たちがどういう存在か、どうなりたがっているのかという認識が深まってきた。



ウィングメーカーを振り返れば、その中ではすでに宇宙カタログの科学を博士たちは手に入れていた。

そして、ウィングメーカーと呼ばれし者たちが、それらモデルとなっている。
ということは、地球の未来では宇宙カタログ科学が起こっているところか、発展でもしているのかもしれない。

だが、博士は逃げた。
理由を簡素に言えば、心地よくないからだろう。
そこに危機感があったからだろう。

そして実際のウィングメーカーと呼ばれし者たちは、自分たちの過去のここ地球に関与することによって、自分たちの地球、つまりわたしたちの未来にリセットをかけようとしている。
彼らなら、彼らの「今」に存在しながらできるだろう。

科学が発展したならいいことじゃないか。
みんなが豊かになることはいいじゃないか。

なのに、博士からもウィングメーカーと呼ばれし者たちからも、危機感やリセットという共通のものが感じられる。
それはなぜだろう。

わたしが思うに、この↓日記で言わんとすることと同じじゃないだろうか。
成熟(神聖さ)が伴っていなければ

もしかすればそれ以上に、科学のスキルを巡って、今度は争いにでもなったのだろうか。

全員が全員、科学を手にしているなら争いようもない。
いや、そこにコントロールでも介在しているのかもしれない。

争いになるのは、独占しようとするものがいたり、脅威の経済を生み出すビジネスになったり、あるいは権威、支配が関わっているのかもしれない。

あるいは科学を自我(エゴ)で活用する状況が起こっている、と考える方が腑に落ちやすいかもしれない。

結局、神聖さ(成熟・愛)抜きでは、真の豊かさには成り得ないという話しだ。



わたしにとって注目に値するのが、新しいモデルというものだ。
これは高次たちからのアクセスとも合致している。
もちろん表現は違うが。

そしてわたしや、わたしたちに投じられるものが、もちろん同じ法則のことなのだが、今までとは違う神聖さの段階・質、もっと純粋な、もちろん共通する法則・真理はあれど、だが今までとは違う在り方、今まで実は在ったのだが隠されてきた(原型・基に近づいているよう)に感じてならない。
それは変容ひとつにしてもそうだ。

もっと何というか、もっと初めから在るものに戻ろうとしているように感じてならない。



例えばわたしは内からの顕現で行うイニシエートだ。
ここではそれを、スピリチュアルセックスだけに的を絞る。

その同じイニシエートには、マリアもいるし、インカにもその歴史がある。
旧 全知全能

同じイニシエートなのに、だが、違う。
何が。
プロセスだ。

わたしは愛によって顕現している
つまり内なる神からの自然・自動。

初めからやり方も知らなければ、習ったこともない。
教えられたこともない。
唯一わたしが知ったのは、スピセックスで扉が開くという話しだけだ。
スピリチュアルセックス・・・より高い意識への橋

では、どうしてできるのか。

自らを明け渡している』からだ。
この一言につきる

ゆえに体験があるからこそ、マリアのイニシエのスキルを見ても、意味が分かるのだ。

ところが、マリアやインカでは、スキルや教えによって取り組み覚え、身に着けてきている。
まったくプロセスがなのだ。
わたしは体験が先で、理解はあとだ。

自らを愛すというそのシンプルで究極な法則で愛にいざなわれ、本来の自分を自然に自動に取り戻しながら、自分に戻っていっている

その自分=内なる神を取り戻せば取り戻すほど
それに還れば還るほど、そのわたし=内なる神の力が顕現し、
自然に自動に現れそれを体験し


ゆえに知っている(できる)、のだ。



他の能力もすべてそうだ。
覚醒を起こす(内なる神へと帰還していく)イニシエーションを行うことだってまったく同じだ。
すべては自分を愛す、という愛にいざなわれている

本当は誰もが、自分自身で内なる神に戻ることができる
スキルやマニュアル、資格など得なくてもだ。
わたしは、はっきりとそう断言できる。

自分も含め、すべての見える見えない存在はエッセンスなのだ。
わたしもエッセンスだ。
そのエッセンスを引き寄せるのも自分だ。

ぜひ存分にわたしというエッセンスを活用してほしい。
(実際にここ地球にいて生きているのだから。)
何よりわたしは、そういう奉仕を心地いいと感じている。
真実を生きることで、自然に自動に真実のエッセンスとなる。
これがわたしの仕事だ。
仲間や同胞(高次たち)と同じ。

わたしを生かすも生かせないも、それはすべては出会う人の内なる状態ひとつだ。
わたしは、出会う人の内なる状態の霊的鏡となっているだけ。
自然に自動にそうなるようになっている。

わたしといる間、そう、わたしの日記を読むときもだ。
わたしに向かってどんな反応をし、どんなことを思い、感じ、どのような自分であるか。
これらはすべて、わたしと接触する側の霊性・愛・神聖さがどのような状態にいるかを教えてくれる。

わたしにむかついたなら、実はわたしにむかついているのではない。
自分の、本来の自己(=内なる神、神聖さ)にむかついているのだ。
まったくもって自分自身に

以上はわたしがわたしを特別視した話ではない。
これらを法則に当てはめれば、当たり前のことを言っていることに気づくはずだ。
それを今だけ、わたしにフォーカスし表現した。


  

 



本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
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posted by dozen/Ren at 12:32| 0705 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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