2007年05月14日

Ren class

0514:2007
The truth of the LEMURIA.
photo : dozen/Ren

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これから始まる『Ren class』とシンクロする内容を発見。
『レムリアの真実』本からの抜粋。
 



たくさんの人が発見してきたことですが、結婚生活が破綻していて、持続する幸福や喜びよりも、ストレスや失望の方が多いことがよくあります。

その理由は、ストレスに満ちた関係が、神聖な愛の一体感よりも二元性に基づいていることにあります。

そのような(神聖な愛の一体感に基づいた関係でなければ、あなたが心の奥で切望してきたことを決して満たすことはできません



非常に長い間、皆さんの結婚関係を観察してきました。

自分自身の外側で、どこかにいるはずの最愛の人を探している人たちに、それでは見つからないと言いましょう

あなたの最愛の人は、あなたの一部です

彼または彼女は、外側の世界で肉体を持っているかもしれませんが、まだその通過儀礼の準備ができていないときにツインフレーム(魂の異性の片割れ)に会うことは、少々 厄介なことです。

もし両者が準備や進化で、同じレベルに達していないと、3次元の経験では、人格と魂がいつも両立するとは限らないので、あなたにとって最善となることは滅多にありません

これから言うことをよく聞いてください。



まず、あなたの求めているその愛を、自分の内部で、ハートや魂、全部の細胞と電子の中に探してください。
あなた自身の内部で、一体感の中で関係を発達させるところから始めてください。
(つまりは出会う前からの探す以前の自己探求、自分を愛す、ということが言われている。)

すべてがそこにあり、あなたが注意を向けるのを待っています。
あなたの聖なる片割れは、あなたの内部にも生きています。

あなたの探し求めている関係は、あなた自身の神聖な真我と、あなたとの関係をそのまま反映しているだけです。
(つまりは自分自身との関係を言われている。)

あなたの本質と、あなたの神性、あなたの人間としての経験のあらゆる側面において、自分自身を愛するようになると、そのとき真我への神聖な愛が、ハートと人生を支配するようになり、あなたはもはや他の場所を探さなくなるでしょう。

あなたはその愛を見つけたことが分かり、それがたとえどのような形を取ろうとも全然、気にならなくなります。
あなたのハートは満たされて、完全に満足するでしょう。



あなたが霊的にその段階に達すると、真我への完全な愛の鏡や反映は、人生の中にはっきりと姿を現します。

これは聖なる法則であり、あなたを裏切ることはありません。

もしあなたの人生の中で現実化させていないのであれば、あなたの準備ができていないか、または内なる世界で待つことを選択しているか、そのどちらか一方です。

聖なるタイミングで人生に現れるので、待つ時間というものは全然問題ではなくなります

なぜなら、あなたが切望し、愛する相手とあなたは、ハートの中ですでに1つになっているからです。

1度、ハートの中で神聖な愛の状態に達すると、あなたに与えられないものは何もありません。
あなたのツインフレームいえどもです。


つまり言わんとすることは、『自我(エゴ)ではいくら奮闘しても聖なる最愛の人には出会えない、ということが分かる。

大切なことは『真我(神我・本来の自分)』にゆだねる、任す、ということなのだ。

自分の現状を見れば、自分がどんな動機で実は探しているのか、探したのかがよく分かるだろう。
自我という自分勝手な利己的な動機なのか、真我なのかが。

そして何より重要な点が、自己探求であり、自分を愛す、ということに尽きる

わたしは恋愛に関して聞かれれば、これとまったく同じことを必ず言っているはずだ。

出会う以前の、1人であるときからすでに始まっていると。
その1人であるときの自己探求は、非常に大切だと。



高次のアクセスにより、こういう霊性も含め、蓮クラスを持つように言われた。
「蓮クラスは気ままに行うので…」と、笑いながら言われた。

わたしの性格を知っている龍が、やけに反応し大笑いしていると、
「気ままと言っても、わがままの気まま、ではないですよ。笑 気(エネルギー)の赴くまま、『あるがまま』という意味です。」と。

そのRen classで、恋愛・結婚・セクシャリティは扱われる
もちろん扱われるのはこれだけには限定されていない。

そしてそのあるがままなRen classの受付条件は、dozen class生であること。

さらに実は奉仕時間は、すでにRen classの一部として高次たちからみなされている



何と言っても『あるがまま』という点がポイントだ。

ホワイトボードに向かって行う、それだけがclassだとは思っていない。
もちろんそうやって行うときは告知する予定ではいるが、それ以外は会えば突入する。
いつでも、どこでも、あるがまま。

わたしは時折、圧倒的な勢いで気づきを降ろされるときがある。
今までは、すべて必ず龍に報告している。

それを龍が、あるいはわたし自身がdozen classで伝えたりする。
が、実際シェアできているのは、結局ほんの一部となってしまう。
それは情報量が多いため、伝えるには時間と場があまりに少なすぎるため。

それがRen classができたことで、少しは消化できそうだと龍と歓んでいる。



気づきは即座に会って深めたいのがわたしのスタンスのようで、それに応えることができる人が継続のRen classと自然となる。
と、高次たちはわたしをこれからもうまく活用してくれる。
感謝がやまない。

このあるがままからも分かるように、このclassはまったくもっていつ行うかも、あるがままだ。
されどカレッジ内で一番多く展開するのは、このclassでもある



つまり、高次が言わんとしているのは、蓮に触れるときはいつでもRen classが実は行われている…、と言いたいのだ。

この意味をdozen class生ならよく理解できると思う。

わたしは内なる神を顕現もし、高次たち同胞のパイプツールでもある。

蓮に触れるということは、自己のスピリットや高次たちと直接(具現されて)触れることも同じであり、エナジーの波及に触れることでもある。

エナジーの波及に触れれば触れるほど、内なる神に帰還する速度がどれほど速くなるかを、dozen生ならよく知っているはずだ。
ゆえに、蓮が自分たちの霊的状態、内なるさまを反映させるツールだということがよく分かるだろう。

本来の自己との、つまり自分自身との本当の関係が、蓮と自分が触れたとき(たとえ実際に会わなくても)、如実に反映(具現)されることになる。
ゆえに、蓮は霊的鏡になっていると言われる。

蓮と触れることは、本来の自己(神聖)に触れるということを垣間味わう
そして、自分自身との本当の実際の関係が、実はどんな状態かを知ることになる

となれば、Ren classは、蓮に会う・触れることが自分にとってのRen classになる…、ということが分かるだろう。

いつでもスピカフェや散策、探求サポ、食事、イニシエやクラスの招待を受け付けている
気軽に交流を申し込んでもらうのを歓んでいる



これら鏡についての話は、自分を特別視した話しでも何でもない。
法則のままであり、人はキリスト化領域の意識に入ると霊的(神聖)な意味の鏡となっていく、ということ。
もちろんその鏡にもまた、質があり、わたしはまだまだ発展途上に過ぎない。

これはわたしだけの話しではなく、誰1人例外なくそうなる
それがいつ顕現しだすか、だけの話し。
さらに高い高次の意識を持つ存在たちが、はっきりそれをすでに体現している。

自分が神であるということを忘れてしまった者たちだけが、これらを特別視する



特にRen classからは、dozen classよりさらに濃くなる。
しっかりとした意志が必要とされる。

このクラスは、分かりやすく言えば、本気でシャンバラのように暮らしていくこと
また本来の自己(神聖・愛)を取り戻しそれを顕現(体現)して生きることを、はっきり抱いている人たちのclassとなっている。
Love Spiritual Peace college

申込みはこちら↓
http://form1.fc2.com/form/?id=121161





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posted by dozen/Ren at 21:44| 0705 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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