2007年06月07日

なんら不足なんてない=あるがまま

ジャンキーがあたりまえになる時…すでに神聖だったことを知る
さてさて、この↑日記のつづきを書こう。

0606:2007
There is not lack at all.
photo : dozen/Ren

645b.ren.jpg


以前モークとシフがエッセンスを投じてくれた、在る=無
モークから初めてのメッセージ
モークに続くシフからさらなるメッセージ
あのときと比べれば、随分と霊性が深まってきた。
 


観えていなかったこと、気づいていなかったこと、認識が浅かったことがたくさんあった。
これから先もまだまだ計り知れないぐらい在るだろう。

それらを発見していくのが心から楽しみだ。
ワクワクする。
やはり探求は、宝物探しだ!
自己探求は宝物探し


それより近視眼にある機能不全の意識(女性の動)とやらは、具体的にどんなことだろうと感じていた。

そうして眠りにつくと、そのエッセンスは夢で投じられた。
今回の気づきの復習を兼ねて。

目を覚まし即座にリーディングに取りくむ。
的が絞れた。
その的のキーを握っている人物が2人いる。
即、彼女たちの日記をチェック。

日記が更新されていれば間違いない。
あった!見事に2人共、申し合わせたかのようにアップされていた。
ある!ある!エッセンスがてんこもり。

夢と現実の具現からリーディングし、はっきり出てきた。
わたしのどこかが、あたりまえかのようにそう思っている部分、その機能不全の意識とは、
その近視眼で『不足している』と思っていたのだ。


そして気づく。
わたしには『なんら不足はない!』ということに!



しごくシンプルにプロセスを書いてしまっているが、この気づきで深まった認識は思いのほか大きかったのだ!

おかげで次から次へとリセットどころが観えてくる。
楽しい。
なるほど、あ〜なるほど、と次々に消化が進む。
だから、こうだったんだ、と。



終わったとたん、
「じゃあどこまでほんとに分かったのかレッスンしましょう」
と言わんばかりに物事がやってきた。

即、実践に入る。
その現場はとてもシビアな雰囲気となっているのに、その雰囲気とは裏腹に、もう楽しくてしょうがない。

それはなぜか。

見えないものがクリアに観えるからだ。
なぜ今このような状況が勃発しているか。
その本当に起こっている表層ではない内容が、その意味が本当は何が現実に起こっているかが、手に取るように分かるからだ。

面白い。
シビアな状況なのに、こんなにも冷静でいられる。
何ら気分も害さない。

現実はとても失礼なことをされてはいる。
(真実が観えていないゆえ、〜のせい、にし責任転嫁していることに気がついていない)。
が、ナチュラルにムッときただけで、あっけなく赦せている自分がいる。
いつものまま
でいられる。

自分が軸にどっしり座っているのが、自分でもはっきり感じ取れる。
なんら振り回されない
気を揉むこともない
時間を無駄にすることもなく、その時間さえ気にもならなく、ゆったりゆったり自分のために過ごせていられる



こんな楽なことはない!
心地いい!




しばらくすると、状況は悪化するどころかどんどん回復する
自然にリセットがかかっている
しかもわたしが心地いいと感じる展開になっていく

面白い。
不思議だ。

わたしは直接、まったく何ら手をくだすことはしていない。
これが実践なのだ。
法則通りの女性(性)の動をやった

直接、何もしていないのに、事は勝手に改善されていくのだ。

わたしがやったのは、簡潔にまとめてしまえば軸にいただけ。
それだけなのだ。

でもそうできたのは、今まで見えないものが観えるようになったから。
法則がそこには在る






わたしの中で、『なんら不足などない!』という意味が深まった。

すべてはすでに揃っている。
ゆえに、あるがままで、もういい
のだ。

何もしなくていい。
何とかしなければいけないことは、何もない。
自分を愛していればいいだけだ。
すでにわたしは充分、愛されている



すべてはすでに揃っているという真実が自分のものになっていなければいないほど、あるがまま、の真の意味を履き違える。
近視眼=自我の都合がいいまま




このまま実践し続けることが、もう楽しみでしかたがない。
どんな変化=創造を味わうのか。

さらにわたしは、本当の愛がどういうものかを味わうだろう。
人の中に在る、偽善な愛を、さらにわたしはみることにもなるだろう。



軸にいればいるほど、真の愛は産み出される。
真の愛に出遭っていく


偽の愛は心地悪く、自然に自動に、わたしが心地いいと感じられる距離まで離れていってくれる
それは自らが、己は真の愛ではなかったことを、教えてくれているのだ。

逸脱した偽の愛は、わたしから離れてゆき、もう近づいてはこ(れ)ない。
やがてどこかで再生されていく
それは自らが、己は真の愛ではないことを表明し、教えてくれているのだ。



神聖=軸=法則は、わたしに嘘をつかない。
正直にいつづけてくれる。
わたしを騙さない。
操ろうとしない。

神聖=軸=法則は、無限の愛でわたしを守りつづけてくれる



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posted by dozen/Ren at 01:28| 0706 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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