2007年07月15日

純化している自我の自分を認める

最近のわたしは自分の神聖さを知ることがテーマになっている。

0712:2007
I recognize oneself of self purifying.
photo : dozen/Ren

665b.ren.jpg


これは第4イニシエーション通過後のわたしの徹底した学びとなっていて、振り返ればこれは、実は最初から何度も高次たちに「自分を知るように」そして実感するようにと言われていたことでもあった。
 


ここ数ヶ月、幾度も言われてきたのが、「蓮は蓮を知らない」。

そう、本当の意味で知らなかったのだ。
この自我の点で。

わたしの知覚はいつ頃からか拡がった。
この自我さえ神聖さの自己で観、把握し、扱っている。
その神我の自分を実感している。
常に


ゆえに常に書くことも、話すことも、神我であったり自我であったり、混在もする

ところが自我自身のわたしとなると、神聖である自分をどうも認めていないようだ。
信じられずにいる、自分が神聖さにあるとは。

神我のわたしは自分が神聖であることはあたりまえ。
が、しかし自我となるとその実感を失くすようだ。
もちろん頭では分かっている。
が、しかし、どうやら実感は甘い。



第4領域はバランスの世界でもある。
また、もう神聖さには必要のないものをさらにゴソッと削ぎ落としにかかる領域でもある。
さらには内的調和の世界でもある。

どうやらこれらも含め、わたしは内なるもののバランス、調和、そして削ぎ落とし無限の愛にいる、というレッスンに入っていることが分かった。



次々にエッセンスがやってくる。
自分を知るにふさわしい資料も。

『ヒマラヤ聖者の生活探究』も然り。
『マイトレーヤの使命』も然り。
また、『アリス・ベイリー入門』も然り。

  



これらは今までの自分に起こってきたすべての裏づけとなっていた。
わたしが行う聖なるイニシエーション、また変容が、実はどれほどの霊性かを知り、かなり驚くことになった。
キリスト化領域のイニシエーションにも触れられている。

またこれらを知ることによって、自分が仲間がいったいなぜここに存在し生きているのか、高次たちや仲間たちと共にあるラブスピースとはいったい何なのか、それらの真実にも触れられている。
明確に。



わたしにとって自我が自分を知るということは、とても大切な作業となっていることを知った。
それは受容であり拡大でもある。

顕在は常にあとからついてくる。
わたしは自分の進化に変化に在り続けることが精一杯で、そのわたしを周りから見るという客観性には欠けていた。

わたしは他者にイニシエーションを行えるが、他者が受けるようにはわたしは受けられない。
受ける側から見えるわたしという存在を、わたしは知らない。

これがわたしの顕在・自我を表すに近い表現かもしれない。



そんな自我のわたしは、仲間たちから蓮というものを知らされるときがきた。
まるでそれがスタートかのように、その後に次々と資料が渡されたようなものだ。

天橋立がその日だった。
仲間たちから言われた蓮というものを知り、わたしは放心状態に陥った。

が、しかし、それをしっかり観ているわたしがいる。
その実感もある。
そして蓮に蓮というものを伝えてくれる仲間たちの内なる状態もまた同時に知覚している。

しかし自我のわたしは、蓮というものを知らされ放心状態にいる。
驚きしかなかった。

例えばもちろん自分が聖なるイニシエーションを行うことは知っている。
現にやっているのだから分かっているに決まっている。
行っている実感もあるに決まっている。

大げさに言えば、行っていることに必死でその霊性の大きさの実感には欠けていたのだ。
つまりは蓮の霊的存在価値において自我は、自我としての自己価値が低かったのだ。

すべては高次たちやスピリットが行うもので、このわたしが行っているわけじゃないと。

だが、高次たちにも仲間たちにも、ひいては龍に一番きつく言われたのは、

「じゃあ、法則はどうなるんだ!引き寄せの法則を思い出してみろよ。蓮が望んで真実に自分を明け渡しているからすべてを引き寄せてきたんだ。蓮がそうしているんだ。その蓮自身を何度、認めろって高次たちに言われた?蓮は蓮を霊性から排他しようとしている。だから自分を高次だと認めることができないでいるんだ。自分の進化を、蓮自身の霊的価値を受容することができないでいるんだ。」と。

わたしは自我・顕在をエゴを排他するかのようにしていた。
認め受容することもせず、自我もある自分まるごと、ありのままの自分を認めていない・・・ということになる。

誰だって愛もエゴもある。
と同じように、誰だって顕在がある。
顕在は進化とともに純化し、共に神聖さへと協力していく本来の機能を取り戻していく。
顕在も神聖さにとってのエッセンス
なのだ。

エゴも純化されれば、闇ではなく影となり、人を真っ暗な中に置くのではなく、熱い太陽のひざしから影を提供し憩いの場となることもできる。
影は風を涼しい風にさえ変えてくれる。
本来の機能、神聖さのためのエッセンスにだけなっていく




わたしの自我は、神我に降伏しているのだ。



もちろん完全にではないが、自我の自分の変化、進化を見ていなかった。
わたしの自我は神聖さと共に在ることを望んでいる。
協力している、現に。


なのにわたしは、その自我を認めず、いつ反逆を犯すかもしれないと容赦していなかった。
自我があるからこそ、肉体をもってこの地で対応していけるのに、人としてコミュニケーションもできるのに。

わたしという自我は、自分で自分を受容できずにいた。



そして放心状態。



わたしはわたしのすべてを受容する。
自我はもう神我に変わろうとしている。
完璧ではないが、神我となっていくことを望んでいる。
共に一致し一体化しようと向かっている

その証拠が、第4イニシエーション通過じゃないか。
自我の明け渡し抜きで、ここまで進化してこれるわけがない

神我と手に手を取り合って進んできたこの事実を、わたしは認めよう。
産道を抜け記憶を忘れ、機能不全に染まっていたこのわたし自身が、ここまでやってきたんだ・・・ということを




以下はセラピス・ベイからのアクセスの際に言われていたことだった。
すでに2ヶ月も前に言われていたことが、今頃になってようやく分かり始めてきた。

わたしの学びはさらに続く。
070516 セラピス・ベイ
以下アクセス↑から抜粋。


質問が上がっています。
蓮からですね。

過去の話、チャネル? 日記、の件? 分かりますか?

(何のチャネル?

前の方が、ライトワーカーのようだった、という話です。
分かりますか? 質問されています。
そのように、またプラスアルファするのか、どうか?

(能力としての話?

そうですね、そういうことでしょう。

(映像として見えるとか、言葉が頭の中に入ってくるとか。

それらは、すでに使われています

(意識してないだけ。

もっと、もっと、もっと振り返ってください。

その様な状況は、たくさんあったはずです。

すでに使われている。あなたも見ています。

(蓮がそういう風にやっているところを?

そうです。まったく同じではないですよ。

こういうアクセス、こういう霊的エナジー、を介在させながらやっています

ゆえに、蓮の口調でしゃべっていることは、たくさんあるでしょう?
蓮が、映像をみたというでしょう。

気づいていますか? たくさんやっていますよ



蓮自身こそ、気づいていない

前の状態だけをフォーカスし、あのような状態でいなければ、
やっていると考えられない。違いますよ。

あれができて、これができないわけがない

すでに能力、顕現は、進んでいます。

幼い顕現を思い出し、あれに執着する必要はない。

すでに存分にやってます。

意識してないだけ、気づいてないだけ




全ては、アクセス、高次のせいにしている。
いいですか? 蓮自身、認めなさい
(セラピス・ベイが蓮に向けて言っている。)

高次が全て関与している、高次がやっている。
高次のせいに、してはいけない

それらエッセンスを引き寄せられるのは、あなた自身が、軸になっているからです

高次のせい、高次がやっている、高次がアクセスしている。
それによって、あなたは、たくさんの言い逃れをしています。
自分の責任にはならない


分かりますか? 言いたいこと。



蓮自身の軸、創造、自己信頼なければ、これらの全ては行えない



いいですか? 法則と同じですよ

蓮はそれを、ムミヤにも言っている。あなたにも言っている。

あなたがたの内なる具現が、蓮を通し見せている。
ならば、蓮の内なる状態が、蓮自身に具現している


なぜ、そう見れないですか?



蓮に触れなさい、蓮をツールとしなさい。
そういうのは、高次に触れるチャンスがあるからです




(蓮もみんなも)高次のおかげにしています。
高次を賞賛する形にしています




しかし、それは、正しくもある。

しかし、実は、それは、全て蓮だとしたら、どうしますか?
みんな、受け入れられますか? 受け入れられないでしょう?

全ては、同時です。同じにあります




蓮のせいにするか、高次のせいにするか、スピリットのせいにするか。

これら全ては、誰が創造していますか?
誰が軸になっていますか?

そして、また、高次さえ軸になっている


どんどん、ややこしくなってきますか?



蓮は、自分を認めなければいけない。
蓮は、自分のおかげとすることを拒否している。怖がる




意味、分かりますか?

おこがましい話ではないですよ。事実を述べています。
法則の話と同じ


蓮自身、ここまで分かってないですよ

(能力が、ステップアップしてるのに気づいていないんや。

まったく、気づいていないですね。この質問が出るということは

(今、分かった。過去に言われているね。センサーの話も言われていると思う。
(要は、霊的に深い部分というのを、蓮は、先に見る、と。
(それは、もう映像がエネルギーに変わっちゃってるだけの話であって、
(もう感知しているというか、すでに見れてるはずやんね。



蓮は、多くのことに気づいています。知覚しています。感じている

(それが、前は、単に映像だけやったっていう、認知できるのが。
(それがどんどん、ステップアップして、エネルギーとか、
(そういう感覚とかまで、研ぎ澄まされていっているっていうのが、
(レベルアップしているっていう話と違うんか。

映像だけではないね

(映像からのステップで話せば。言葉かったって、頭に降りてるんじゃなくて、
(そのままストレートに、流れていっちゃうから、口から出てるっていう。

そういうことです。

でも、蓮には、認められない。自分の話していること、認められない。

みんなもそうでしょう。蓮そのものが、実は、高次で、話している。


(気づいていない



認められますか? 認められないでしょう?

見せ方にも色々あります。明らかに意識が違う

(そういう存在が)目の前にやってくると怖がる。それが、人というものでしょう?

それが人にもあるならば、蓮にもあります。




自分の中の変化、まだ、たくさんあるはず。
スムーズになっていることもたくさんあります。

しかし、このように(今行っているこのアクセスを指している)アクセスがあると、蓮自身は、ほっとする。

このようにはっきり、エネルギーが介在すると、ほっとする。

明らかに自分ではないと。こんな風に、私は、話さないわ、と。明らかな違いがあると、安心する。




蓮自身も(自分を)認め、自分に慣れることです。

さらに変化は続いて行きます。
もっと、もっと続いていく。

さらに意識は高まっていく

もちろん、シャンバラの聖者たち。
あの意識まではないです。

もちろん、もう関与は始まっている。
その意識を持っている部分が、当然ある。

それが、大きくメインになるか、なっている状態に、
顕在になっているか、五次元の顕在ですね。



このような質問を受けるとは、思っていなかったです。
蓮は、すかさず聞きましたね。
離れるようとした時に、聞かせて欲しいと。

認めることです。



人にとって、認めることも、怖いことが分かります。

なぜ、怖いのかも、知る必要、必要なら、知る必要があるでしょう。




私が現れる際、どのように現れましたか? 今回

(すーっと

Yes、そうですね。これは、何を表している?

この際、変容はなかったはずですよ? 大した。
いつものように、変容の、腹部が動く、ということもない。

ずっと、表情の変化、表情のエナジーの関与、があった程度です。

以前は、どうでしたか?

かなりの変容をして、現れたものではなかったですか?

これと同じことです。

スムーズに行っていることがたくさんある。

でも、今までと違えば、落ち着かない


認められない。

少しでも、エネルギーが関与する部分が、発見できると、

安心して、自分は、今、下ろされている。

確かに、分かりやすいですね、蓮にとっては




他の人には、それさえも、もう、わからない部分があるとは思いますが。
蓮にとっては、安心になる。

もっとスムーズになっている部分がある。
今日でも、そうでしょう


覗いたとき、映像を覗いたとき、その壁にあるもの。

ドアを開ける者、ムミヤの顔を見るだけで、分かっているはずです。
マップが来た時、分かっているはずです。

でも、彼女(蓮)は、もっと確認しないと、安心しない。

蓮が、思っている以上に、知覚は、早くなっています。

感じていることは、本当に、たくさんある。

それが、しっかり思考に落ちるまで、

確認が取れるまでの、クセが残っている。




その際に、明確に話すならば、あっという間に分かってます。

ムミヤの顔を見て、分かる。
マップの状態、見て分かる。

例えば、エンプティの話もそうです。
エンプティの、その場で分かっている。

それを全て遅らせていく。何が、遅らせますか? 霊性は?

(怖れ

全ては、ブロックをかけてるのは、そうです

いろんなことは、全て、同じです。

ゆえに、正直に話すように、という課題。
課題ではないですね、課題ではありませんね。
当たり前のことです。話すことが求められている



(蓮に言っている↓)
要は、あなた、蓮のままでいなさい



抵抗する。

蓮は、履き違えてますね。

聖なる子供でいなければならないと思っている。

あれは、ひとつのリアルな表現に過ぎない。

あんな風にならなくてもいい。蓮のままでいればいい。

もっと素直に、あるがままに、正直に。




何か難しくしすぎている。
簡単なことを難しくしすぎている

聖なる子供に願ってご覧なさい。
もっとリアルに一緒にいて欲しいと。
すでに、聖なる子供はいます、一緒に

今の表現は、もっと一緒に、知覚できるように居てください。
自分らしさを助けてください。

蓮に話してますよ、今。

そのように言えばいい。ということです。



蓮は、自分自身の知覚の速さ、感覚に気づくことです

以上で、納得しましたか?

蓮こそ、力を抜きなさい。難しくしてしまっている。

もっと力を抜き、しなければいけない、ということを捨て去りなさい。

そうすれば、見い出せます。




OK、あなたの力も借りましょう。龍の力もです。
色々、話してあげてください。

(了解

もっと分かりやすく、蓮に。蓮は、戸惑っている

ゆっくり交流する。あなたと話しながら。

時間が必要でしょう

また、会いに来ます。

(ありがとう。

楽しんでください。

(はーい。

1:06 2007/05/16




本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
愛の拡大支援クリックご協力お願いします^―^v
人気blog  精神世界  哲学ブログ  ブログくつろぐ
posted by dozen/Ren at 12:29| 0707 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。