2007年07月17日

軽いからこそ抵抗をよりなくす

龍がわたしに声をかける。

0717:2007
I get rid of resistance more simply because I am light.
photo : dozen/Ryu

666b.ryu.jpg


「投げるから捨ててぇ。」
 


タバコの空箱。
わたしが座っている場所のすぐ近くに、ゴミ箱があるのだ。

1つ目を投げる。
ところがとんでもない方向に龍は投げてしまった。

「ちょっと全然違うじゃん!笑」と言うと、
「俺もビックリした!笑 軽すぎてとんでもない方向になっちゃった。」

ピン!ときた。
あ、そういうことか…。

龍が「重みないと逆に投げるの難しいんだなぁ。力加減がさ〜。重量感あったほうが投げやすいんだな。」と言いながら、2つ目を投げる。
おみごと!



進化・成熟すればするほど、エネルギーは軽くなっていく。
ゆえに、今までの重さ(成熟)のつもりでいると、とんでもないことになってしまう。

ものが軽ければ軽いなりの力加減を覚える必要があり、そうして投げるにも慣れていく。



ふと、新幹線を思った。

スピード(進化)を上げるには重量を軽くし(成熟を上げ)、
しかも軽くなった上でなおかつ安定が求められるため(神我と自我の調和/安定した神聖さの成熟)、
さらに抵抗(自我の力/コントロール)をより少なくすることが要求される

つまりはこれが、第4イニシエーションを通過した領域で、今わたしが求められていることなんだな…と。

だから、何度も『力を抜きなさい!』と言われるわけだ。



スピードが速ければ速いほど。



↓いつぞやのムミヤの高速道路の例えが、さらに深まった。
純化している自我の自分を認める



さらに違う方向からも観る。
ゴミ箱にゴミを捨てる…ということを、具現として観ると。



男性性について。(龍が一部を具現。)
自我と言えば男性性領域でもある。

うまく言えないが、例えば『右』。

左は女性性、右は男性性。
左が受容(受ける)なら、右は動(与える)。
左が潜在(無意識)、右が顕在。
左が神我なら、右が自我。

男性性は、神我(本来の自己)を包含(パイプ)している女性性を包含している。

そのわたしの男性性のポイントを龍が見せてくれた。



今までのわたしの男性性自身が行ってきた、機能不全への対処ではこの先は通用しない、ということ。

機能不全さが軽ければ軽いほど、今までみたいに分かりやすくない。気づきにくい。

今までのような自我の力加減では、逆にこれから味わう・知る機能不全さに対処(手放す)しにくい。

軽いもの(タバコの空箱)の方が、扱いが繊細になるのではないか。
軽いゆえに、その軽いなりの重みというか、その実体自身を感じる『感覚』というものを大切に感じていないと、投げにくい(ゴミ箱という的に)。



ということは、今まで以上に自分を知り観る…が要求される
つまり、自己探求の質を上げる必要が、明確に在る、ということだ。

だからこそ今、自分の神聖さや自我の状態を改めて知り直すことをしているんだ…と、気づいた。
知れば知るほど、自分(自我)に驚いていくばかり。

だが、そのおかげで、わたしはさらにわたしを知ることになり、自分を大切に扱おうと促され自分への愛が深まり、つまりは、自己受容が進む

これは拡大でもある。
今までより自分をたくさん受け入れられるとは、自分が拡大していること
なのだから。



なるほど。
高速道路と新幹線かぁ。



で、タバコの空箱を捨てる…とは。

タバコ→リラックス
空→無い。
箱→枠。制限。
捨てる→手放す。

リラックスが無い状態(神聖にとってのリラックスという意味からはずれるもの)を、手放す。
男性性は1度目は失敗。
2度目は成功。

厳密に言えば、男性性は2度目に成功したのに、女性性(わたし)が受け取るのを失敗した。

どんな風にと言うと、拡げた手にタバコが入ったのにもかかわらず、軽すぎてバウンドし、あっけなく手から飛び出してしまった。

つまり、パコッとつかめなかったのだ。

すぐ近くに跳ね返った空箱を身を乗り出して拾い、捨てた。



…ということは、その軽い実体(機能不全/リラックスがない)の実感(感覚)が、まだ甘い、ということだ。
受容しようと手を広げ、実体にも触れたのに、掴み損なう。

結果は、ちゃんと捨てれている。
が、ポイントは女性性の、男性性との連携であり、女性性の、男性性(自我)を受容する(認める)という点で、まだ甘い。



わたしの自己受容は、まだまだつづく…だな。



これが違うところでも当てはまる、と、ハタ!と気づいた。

他者(外)からの機能不全がやってきたとき、捨て下手だ(手間取る)ということだ!

なんて分かりやすい。
昨日今日と、つくづく考えさせられていたことであり、『即、対処!』を誓っていたところだった。

即、対処。即、反応。
反応(外に表現)が、どうしても遅れるのだ。
そういう自分に、うんざりが始まり出したところだった。

この反応の鈍さが、どうやら女性性のようだ。
よく分かった。
他者を傷つけまいとする配慮を考慮するうちに、遅れてしまうのだ。

何を考慮しているかというと、伝え方、表現の仕方、ものの言い方。

自分(神聖さ)を通したいからといって、どんな言い方や、どんなやり方をしても構わない!…とは、わたしは思えない。
そうして考慮しているうちに、遅れる。
が、目的は果たしている。
が、遅れる。ゆえに、即、成せる時を失い、次に成す。

あれ。
これ、男性性の1度目は失敗、2度目は成功…の具現だ。

やはり何事も同時…という真実(法則)かぁ。



そこでひとつ気づいたのは、自分ごとに即、反応するだけでいいってこと。
しごくシンプルであり単純。
だが、できうる限り、本当に正直でなければならない。

この真逆にあるのが、表層の話し方、だ。
関連日記⇒嘘つくな。

正直に話すとは、他者や自分を、責めるでもなく否定するでもなく、理解させることでも納得させることでもなく、
これらを含まずなお、感じたありのまま、それだけを表現する…ということ。

偽りのない。
それが正直、だ。

このシンプルさをうまく書けないが、そこまでの正直さを伴う表現をすると、聖なる子供かのようかもしれない。
関連日記⇒⇒いっぱい泣いた。

またそれが、蓮が他者にとって高次/スピリットの具現ならば、まさにその高次の、分かりやすく言えば『気持ち(神聖さ)』を表すことにもなる。


即、対処。即、反応。
は、自分(他者)を愛することだ!
うん!実践を重ねていこう!



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posted by dozen/Ren at 21:23| 0707 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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