2007年07月25日

素顔

龍のある言葉がきっかけでピピン!…ときた。

0724:2007
The real face.
photo : dozen/Ren

667b.ren.jpg


そうだ、今日はゆきとランチしよう。

龍ブログ⇒DragonDiary〜Ripe Of Source/dozen〜
ゆきブログ⇒無限の愛〜スピリチュアル〜
 


ついこないだ松山の道後温泉から、ゆきが引っ越してきた。
アシュラム入り6人目。

mapが横浜から神戸へ移住。
mummyは福岡から。
もっちは兵庫から。
空は千葉から。
沐隣は静岡から。
map以外は、ゆきも合わせて5人が京都に移住。

こうやって改めて振り返ると、すごい。すごすぎる。
探求への意志、霊的に生きる意志の強さが伺え知れる。
全員がすべて、自発的。
ハートの声に沿った。

mapブログ⇒Harmony 〜調和〜
mummyブログ⇒空ニ魚ノ心アリ
もっちブログ⇒Mの探求日記
空ブログ⇒ひらりん
沐隣ブログ⇒ゆっくり行きませう



今日は引越しホヤホヤ、京都カレッジ直後、サナンダのイニシエでだるんだるん明けのゆきに、霊的な意図があったのでランチを誘う。
今日のRen classに踏まえて。

そのランチの席で、ゆきがとっても興味深い本を教えてくれた。
「これね、てるさんに借りたんだけど面白いの。今ね、読んでるんだぁ。」
と、見せてくれた。

それが、これ↓




タイトルを見るなり興味が湧く。
表紙を開いたそこにある文面でさらにそそられる。

イエスは奇跡など起こしていない。
マリアは処女懐胎などしていない。
十字架から解放されたイエスは、落ちのびた小さな村でその生涯を終えた。

この物語を読み終えた時あなたは、なぜ彼が救世主(キリスト)と呼ばれるようになったのか、その本当の理由を知るだろう。

それは魔術的な奇跡でも、超人的な神性でもなく、ただひたむきな人々への
”愛”ゆえであった。



わたしはこの本を読んだことがない。
だから実際にはどんな内容か知らない。
イエスについての溢れるほどある本や映画にしても、実際の本当の本当の100%の真実なんて、結局、人には誰にも分からないだろうと思う。

どれだけチャネルしても、どれだけ物的証拠を並べようとも、やはりそれは真実のほんの一部分でしかないと感じる。

まるで顕在の自覚ある自分が自分だと思っているように

何が真実かは分からない。
されどきっとその溢れる中には、わずかな真実でも伝えようとする何かは在る。
正しい正しくない、事実、事実ではない…、を超えるものが。

何か。
超えるもの。

わたしにとってのこの2つを大切に感じるそのことが、自分にとっての自分の真実に繋がる大切なエッセンスだと思っている。



「で、どうなの?読み始めて。」
…に聞かせてくれたゆきの言葉に自分を振り返る。

わたしは、わたしの力だけでは何も行えないのを知っている。
内なる神によって生かされている。
そしてまたわたしは、内なる神と共に生きることがなによりの歓びでもあり、『生』だと実感している


成熟が進み、また進んできた中で自我の想いや葛藤があったのも事実で、それはすでに日記にもつけてきた。

ゆきから聞く、
「イエスにも葛藤があり、さまざまな想いがあったんだよ。」という言葉に、
まさに、ほんとそう…、今なら今だからこそ理解できるわたしの真実が在る。

「わたしも同じ。」



そして自分の過去生の、記憶の蘇りを思い出す。
そのときのわたし(男性だった)=彼は、葛藤していた。
いや、葛藤という言葉はふさわしくないかもしれない。

神聖さと共に在る、自我の側面、感情や想い。
そう、『人』だった。

今では、彼の神聖さも人としての彼も、よく分かる。
神我(真我)と自我だ。
今のわたしがそうだからだ。

この先、過去の自分を超えたいと思っている。
されど今回は、同じことはしない。同じではない。



そんな想いをゆきに話していたら、
「なんかね、読んでると涙したりするの。蓮ちゃんとかぶるの。てるさんも日記に書いてたよ。蓮ちゃんとだぶるって。」

「そうなの?その日記、知らない。見逃してるわ。帰ったらすぐ読むね。」
てるの日記⇒敬愛



てるの日記を読んで、さらに興味が湧いた。
そしてゆきと共にてるの霊的感性が嬉しかった。

自分を知るエッセンスに読んでみたくなった。



これからわたしのような成熟が訪れたとき(誰もがやがて訪れるしさらに超えた先駆者たちもいる)、
必ずこういうエッセンスが実際に役立つときがくると思う。

本当の霊的真実ってものは、体験しているものにしか本当には分からない。
それが真実だ


体験しその真実を生きているものだけが言える、本当の『知っている』。

これは知識を指しているのではない。
すでに身につけているものを指している。

単なる知識の豊富さやお勉強の賢さ、雄弁さを指しているのではない。
口や言葉・文字を通し示される『知っている』ではなく、
真実を生きているその存在そのものが、存在で示す、存在が在ることで物語る『知っている』なのだ。

されどまたその真実も、源(すべて)の一部分に過ぎない。


本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション
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posted by dozen/Ren at 13:11| 0707 Love Life | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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